福島の7年~廃炉・汚染水対策と復興の動き

2015年3月1日に行われた常磐道開通式の様子です。

常磐道開通式(2015年3月1日)

福島の教訓を胸にきざむこと。それは、エネルギーを考える私たち1人ひとりにとって、何よりも大切なことです。福島の復興なくして、日本の再生はありません。「次世代の『新エネルギー社会』は福島から始まる」でもご紹介したように、エネルギー分野から復興を後押ししようとする「福島新エネ社会構想」なども進んでいます。

「福島の7年」を振り返るために、このスペシャルコンテンツでも、METI Journal 3月5日号の内容をご紹介します。

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東日本大震災から7年が経ち、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故に見舞われた福島の復興に向けた動きは加速している。福島第一原子力発電所では、事故当初の緊急的対応を脱し、「福島第一原子力発電所の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」に基づき、廃炉・汚染水対策が安全かつ着実に進められている。また、事故に伴い避難指示等の対象となった被災12市町村(福島県田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村)については、2017年春に大熊町・双葉町を除いたすべての避難指示解除準備区域・居住制限区域の避難指示が解除された。福島県の浜通り地域では、生活・なりわいの再建や福島イノベーション・コースト構想を通じた新たな産業基盤の構築に向けた取り組みが着実に進んでいる。今月のMETI Journalでは、福島の「今」と今後の課題について現場の声を最大限お伝えしながら、紹介していくこととしたい。

避難指示区域の概念を示した図です。

避難指示区域の概念図(左は2013年8月時点、右は2017年4月以降)

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1.廃炉・汚染水対策

福島第一原子力発電所の事故から約7年。燃料デブリと呼ばれる原子炉内で溶けて固まった燃料への継続的な注水により、今では安定した状態を維持している。この7年間で行われてきた様々な取組やその効果について見ていく。

事故直後より発生し続けている汚染水については、建屋周辺の井戸(サブドレン)での地下水汲み上げや、建屋の周辺を囲むように地下に設置された氷の壁(凍土壁)により、汚染水発生量が大幅に低減するなど、対策の効果が着実に出ている。

廃炉に向けた取組では、まず4号機の使用済燃料プールからの燃料取り出しについて、プール内の燃料が一番多かったため、最優先で取り出しの作業を行い、2014年12月に完了している。

1,2,3号機については、未だ使用済燃料プールに燃料が残っているため、取り出しに向けた取組が進められている。中でも3号機については、燃料取り出し用設備の設置が進められ、ドーム屋根の設置がすでに完了しており、2018年度中頃から燃料の取り出しを開始する予定。

また、1,2,3号機においては、溶けて固まった燃料デブリの取出し作業も残っている。各号機とも、まずは炉内の現状把握を行うべく、格納容器内部調査を進めており、それぞれの号機で炉内の状態が明らかになりつつある。

福島第一原子力発電所の労働環境は、ガレキ撤去や敷地舗装などが進んだことで、事故当時と比較し、大きく改善している。事故直後は息苦しい全面マスクや、防護服の着用が必要であったが、今では約95%のエリアで一般作業服等での作業が可能となった。また、2015年5月に大型休憩所がオープンし、同年6月には温かい食事をとることができる食堂の運用を開始、さらに翌年2016年3月にはコンビニエンスストアがオープンした。

このように、廃炉に向けた取組は一歩ずつ着実に進んでいる。

原子炉建屋(概念図)
原子炉建屋内を図解した概念図です。

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2.避難指示の解除と産業復興

避難指示対象者数は解除を前進したことをうけて、現在の避難指示区域を設定した2013年8月時点の約8.1万人から約2.4万人にまで減少した。

避難指示の解除にあたっては、住民の生活基盤となるインフラ等の回復が必要であるが、主要幹線である常磐自動車道が2015年3月1日に全面開通した。また、JR常磐線は2017年10月21日に富岡~竜田間の運行が再開し、残る不通区間である富岡駅~浪江駅間(※)は2019年度末までの開通が予定されている。また、今年の春には川俣町(山木屋地区)、富岡町、浪江町、葛尾村、飯舘村で小中学校の開校・再開が予定されているほか、富岡町で二次救急医療拠点が開所する予定であるなど生活環境の整備も進んでいる。
(※)現在、富岡~浪江駅間は列車代行バスが運行されている。

避難指示の解除に加えて、2017年5月の福島復興再生特別措置法の改正により、将来にわたって居住を制限するとされてきた帰還困難区域内でも、避難指示を解除し居住を可能とする「特定復興再生拠点区域」を定めることが可能となった。これまで双葉町、大熊町、浪江町の拠点整備に向けた計画が認定されており、富岡町、飯舘村、葛尾村でも計画策定に向けた検討が進められている。

故郷に戻った住民が安定した生活を取り戻すためには、事業・なりわいの再建と新たな産業の誘致を両輪とする産業の復興が不可欠だ。原発事故に伴い避難指示等の対象となった被災12市町村の事業者のうち、もといた地元で再開・継続している割合は28%、避難先等で移転再開している割合は25%程度となっている(※)。被災事業者の中には、震災によって商圏が縮小した中であっても、持続的な経営を目指して取組まれる方や、福島県や首都圏の百貨店などへの、新たな販路を開拓するため、積極的に挑戦される方もおり、前向きな動きが見え始めている。2015年8月に創設された、国・福島県・民間からなる福島相双復興官民合同チーム(公益社団法人福島相双復興推進機構 )は、これまでに約5000の事業者と約1100の農業者を個別に訪問し、訪問を通じて得た多様なニーズに対して、きめ細かな個別支援を進めてきた。そうした取組を通じて、被災地における事業再開・なりわいの再建に取組み、事業や商圏の回復を通じて、被災市町村の「まち機能」の回復を後押ししている。
(※)2018年3月時点。福島相双復興官民合同チームが個別訪問した事業者の意向を集計した割合。

事業・なりわいの再建に加えて、新たな企業の誘致や先端的な取組の推進も、地域の活力や雇用を生み出す上で極めて重要な課題だ。被災12市町村の産業基盤を抜本的に強化すべく、震災後に17の新たな産業団地の造成が進められており、また、震災前からある産業団地への入居企業数は、震災前の35社から49社(2018年1月時点)まで増加した。新たに立地している企業も、ウェアラブルIoT機器のメーカーや車載用リチウムイオンバッテリーの二次利用技術の開発・製造を行う企業等、これまで地域に多く立地していた伝統的な繊維・陶磁器関連の企業や原子力発電所に部品・資材を供給する企業と違って非常に多彩だ。

また、廃炉、ロボット、エネルギー、農林水産業といった分野で福島県浜通り地域の新たな産業基盤の構築を目指す「福島イノベーション・コースト構想」は、様々な民間企業の参画を得て進めているナショナルプロジェクトだ。楢葉町に廃炉を円滑に進めるための遠隔操作機器や装置の実証開発を行うための「楢葉遠隔技術開発センター」が開所(2015年10月)されたり、南相馬市から浪江町にかけて、福島ロボットテストフィールドという様々な分野のロボットやドローンの実証試験と性能評価が一か所で出来る世界に類を見ない拠点が整備されたりする等、この構想を支えるインフラ等の基盤が構築されつつある。また、南相馬市で全国初のドローンを使った集落への配送サービスが行われる等、最先端の取組が福島県の浜通りから起こりつつある。

福島ロボットテストフィールド(南相馬市、浪江町)
南相馬市、浪江町に広がるロボットテストフィールドの様子です。

今月のMETI Journal では、廃炉・汚染水対策、「まち」の回復、地元企業の再開や新たな販路の開拓、浜通りへの新規企業の立地、ドローンや水素エネルギーといった先端的な取組等々の多様な局面で課題に挑戦し実現していく、地元の方々や企業の現場の声と、そこから見えてくる将来的な課題をお伝えしていく。

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