災害から学び、強い「石油供給網」をつくる①~東日本大震災などから得られた教訓

2011年3月の東日本大震災で起きたSSの行列の写真です。

2011年3月の東日本大震災で起きたSSの行列(宮城県多賀城市内)(提供:全国石油商業組合連合会)

地震などの大規模な自然災害が起こると、被災地では、エネルギー関連施設・設備やそこで働く従業員も被災するため、エネルギー供給力が平常時とくらべて大きく落ち込みます。「地域のサプライチェーンの維持に向けて」では「サービスステーション(SS)」の災害対策をご紹介しましたが、今回はより広範囲な「石油」の供給網にスポットを当て、どのような課題が明らかになったのか、また、過去の災害を教訓にどのような対策がとられているのかをご紹介します。

災害時にあらためて確認された石油の大切さ

2011年3月に起こった東日本大震災や2016年4月に起こった熊本地震では、製油所などの石油の生産拠点からSSなどの供給拠点、地方自治体の庁舎や病院といった重要施設の非常用発電や、緊急車両を使うなど燃料を必要とする者まで、石油流通網におけるさまざまな問題が浮き彫りになりました。

たとえば東日本大震災では、製油所、油槽所(石油を貯蔵する施設)といった地域の燃料供給の拠点、石油製品の運送に必要な港湾、道路、そしてガソリンなどの石油製品を住民に販売するSSなど、石油供給に関連する様々な施設などが被災しました。これによって石油を必要な所へ届ける“供給能力”が低下し、被災地におけるさまざまな石油のニーズに対する供給不足が起こりました。

地震が発生してから1週間以内に、被災地の自治体などから国に対して入った石油供給要請の数は、約1,500件にのぼりました。この件数は、国が対応した被災地からの物資などを含むさまざまな要請のうち、約3割を占めます。石油販売業者はもちろん、警察・消防・自衛隊などの救援・復旧活動に関わる組織からは緊急車両用の燃料が、病院や通信事業者などからは非常用発電機用の燃料が、避難所からはストーブ用の燃料が不足しているとして、供給要請がなされました。

政府への支援要請
東日本大震災時に起きた政府への支援要請の内容と、そのうち石油供給の要請先の内訳を示したグラフです。

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被災地域の社会生活において、また災害時の応急対策活動において、石油が大切な基盤となっていることがあらためて確認された出来事でした。

東日本大震災などのあの時、石油供給網には何が起こっていたのか?

東日本大震災などの震災時、石油の供給網に起こっていた問題は、以下のようなものでした。

生産基盤や拠点:生産・出荷能力が長期間にわたって低下

東日本大震災の発生直後、地震や津波によって、東北の石油供給の拠点となる仙台製油所など、太平洋側の石油供給拠点が操業を停止し、タンク内にあった在庫を出荷できない状況に陥りました。全国にある27カ所(当時)の製油所のうち、東北・関東の6つの製油所が操業を停止しました。これにより、国内の石油精製能力(原油からガソリンなどの石油製品を製造する能力)は、震災前の約7割まで落ち込みました。

震災発生から1週間がたつと、停電によって稼動を停止したところなど3つの製油所が順次運転を再開しました。しかし、設備の大規模な損壊などが生じた製油所は、再開までに数ヶ月から1年という長い期間を要しました。

流通網:輸送網に障害発生、配送能力も低下

東日本大震災では、港湾や鉄道、道路も大きく被災しました。インフラそのものや桟橋などの周辺設備がダメージを受けたり、瓦礫や漂流物でそれらへのアクセスが寸断されたりするなどしたことで、輸送網に障害が発生しました。石油製品を国内の他の地域から被災地へ輸送するのに長い時間がかかってしまうなどの問題が発生しました。

さらに、被災地内での輸送をになうタンクローリーが、津波により流されたり、水没したりしたことで、絶対量が不足しました。そこで、周辺地域からのタンクローリーの応援や、被災地内で稼働が可能なタンクローリーのスムーズな移動をおこなうための取り組みとして、タンクローリーをパトカーなどと同じような「緊急通行車両」扱いにする措置を急きょ取ろうとしましたが、手続きに時間がかかるなどの問題が起こりました。また、被災地や周辺地域における通行可能な道路では、大渋滞が発生しました。

こうした状況から、燃料の配送に大幅な遅延が生じました。

供給体制:全体管理や連携体制の欠如

石油産業では、「元売」と呼ばれる、自らのブランド名で石油製品を販売している会社と、タンカーやタンクローリーを持つ運送会社、「元売」のブランドマークを掲げるSSは、「系列」と呼ばれるグループを形成しています。しかし、これらは同じマークを付けていたとしても、必ずしも同一の資本関係にあるわけではありません。

そのため、東日本大震災が発生した当初は、生産・出荷・配送・販売という一連の機能が一体的に把握・管理されにくいという状況が発生しました。こうした状況は、石油の供給能力を早く回復し、自治体や重要施設からの緊急要請にスムーズに対応することを困難にしました。

また、石油会社の間では、災害時に稼働することが可能なインフラを共同で使ったり、災害に関する情報を共有したりするなどの相互支援や、連携して対応をおこなう体制やルールが整備されていませんでした。このため、地震発生後、「元売」の業界団体である「石油連盟」内に、急きょ「共同オペレーションルーム」を立ち上げ、関係企業と資源エネルギー庁が一体となって、供給がスムーズになるよう取り組む体制を構築しました。ただし、“だれが配送するのか、どこに販売するのか、を事業者間で調整する”という行為は、独占禁止法に抵触することになるのではないかという懸念があったため、体制構築までに時間がかかってしまいました。

販売拠点の問題:在庫不足や販売能力の低下

東日本大震災発生後には、東北地方の約4割のSSが営業できない状態になりました。陸前高田市や大槌町などの地域では、津波によりタンクへの浸水や給油設備の破損が起こり、従業員の確保が困難になるなどの問題が起きて、ほとんどのSSが営業できなくなりました。そのため、それらの地域では住民が燃料にアクセスできない状態が続き、政府に対して特に強い供給要請があったことから、ドラム缶などを使った応急的な出荷がおこなわれました。

また、都市部や沿岸部のSSでは、被災地からの避難や買い出しのために自家用車を利用する住民が長蛇の列を作りました。しかし、前述したとおり、燃料供給拠点からの出荷能力の低下、道路の損壊・大渋滞などによって、被災地の各SSへの配送は大幅に遅れました。

需要者の備えの問題:災害に対する備蓄の不足

被災地の病院や避難所、通信施設、消防や警察などの緊急対応車両や重要施設では、非常用発電機などを稼動させるために必要な燃料の備蓄が不足しました。特に緊急を要する病院などからの緊急要請に対しては、秋田や酒田(山形)、新潟など日本海側や関東の石油供給施設から直接、タンクローリーを派遣することで対応しました。

以上の課題を受けて、生産から運送、末端の販売まで、さまざまなフェーズで、石油サプライチェーンの強じん化に向けた取り組みがおこなわれてきました。次回は、それらの取り組みについて具体的にご紹介します。

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