第1節 足下の原油価格下落の要因分析と今後の展望
1.原油価格形成のメカニズムと過去の原油価格下落状況
(1)原油価格に影響を及ぼす要因
1979年のイラン革命や翌年に勃発したイラン・イラク戦争の影響による原油価格の急騰(第二次石油危機)は、先進国を中心とする石油需要の減少と、石油輸出国機構(OPEC)非加盟の産油国の増産をもたらし、それまで原油価格をコントロールしてきたメジャー(大手石油会社)やOPEC産油国の支配が及ばない原油市場の成立につながりました。
原油価格の急騰で生じた供給過剰により、余剰分はスポット原油として取引されるようになり、ス ポット取引の価格変動リスクを軽減するために原油先物市場も発達していきました。現在の世界の代表的な原油価格指標であるWTI原油先物がニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)に、ブレント原油先物がロンドン国際石油取引所(IPE)に上場されたのもこの時期(1983年)のことです。
1980年代末からは、中東産油国の長期(ターム)契約価格にもスポット原油価格が反映される方式(フォーミュラ価格方式)が急増したことで、あらゆる原油価格が市場の影響を受けるようになりました。
原油市場においては、価格は参加者の認識に影響を与える様々な要因によって決まっていきます。実際の石油需給バランスの変化が価格に影響を与えるのはもちろんですが、例えばOPECの総会での決定事項のように、将来の需給バランスに影響を与えるような事項も価格を変化させる要因となります。また、例えば、産油国でのテロといった地政学等のリスクも、その時点で原油生産に直接影響するものでないとしても、将来の原油生産や輸出に懸念を与えるものとして価格を上昇させる要因となります。また、近年、原油市場への投資マネーの流入が進んだことで、株価や為替レートといった金融要因も価格を変化させる要因となっています。
原油市場が確立された1980年代以降の原油価格下落局面とその前後の動向について、原油価格に影響を与えた要因について見ていきます。
C O L U M N
原油市場確立以前の価格メカニズム
20世紀の前半、主に中東における原油資源を支配していたメジャーは、少額の利権料支払いにより排他 独占的な石油事業の操業権利を保有できる「包括利権契約」を産油国と結んでいました。
1940年代からは、産油国側が石油操業利益の50%を政府収入とする「利益折半方式」を実現させていき ましたが、原油公示価格の決定権はメジャーに握られていました。
産油国側は1960年9月に石油輸出国機構(OPEC)を設立し、「石油価格の安定と維持」を求めると ともに、石油資源に関する主権回復を図っていきました。1973年10月に勃発した第四次中東戦争 に端を発した第一次石油危機を背景に、OPECは公示価格の決定権を獲得し、価格を大幅に引上げる ことを宣言しました。
その後の国際原油取引は、産油国が公示価格に代わり定めた公式販売価格(OSP)をベースとして行われる ようになりました。
第二次石油危機後の産油国によるOSP引上げの結果生じた供給過剰は、スポット原油市場を発達させ、 その価格はOSPを下回るようになりました。サウジアラビアは、1985年にOSPを放棄し、ネットバック 方式(石油製品の市況から原油価格を逆算する方式)を採用しますが、更に原油価格を押し下げる結果となりました。
【第111-1-1】原油市場確立以前の価格推移
- 出典:
- アラビアンライトは「エネルギー白書2010」、スポット原油(1983年まではフォーティーズ、1984年からはブレント)はBP統計を基に作成
(2)過去の原油価格下落局面
国際的な原油市場が確立された1980年代以降、これまでに大きな価格下落局面が1980年代、1990年代、2000年代の各年代でみられました。
【第111-1-2】国際原油価格(WTI)の推移(1984 ~ 2016年)
- 出典:
- NYMEX公表の数値を基に作成
① 1980年代
長らく30ドル前後で推移していた原油価格は、1985年12月以降、急落を始め、1986年3月には10ドルの水準まで下落しました。その後は、価格は同年後半より上昇を続け、1987年6月には20ドル台に回復しました。
【第111-1-3】国際原油価格(WTI)の推移(1984 ~ 87年)
- 出典:
- NYMEX公表の数値を基に作成
第二次石油危機による原油価格高騰により、生産コスト的にそれまで採算の取れなかった非OPEC国・地域(メキシコ、英国、アラスカ、ブラジル、オマーン、エジプト、インド、中国、マレーシア)で油田の開発・生産が活発化していました。非OPEC諸国の原油生産量は1975年から1985年の10年間に2,964万バレル/日から4,159万バレル/日へと、約1,200万バレル/日も増加しました。これには、供給分散化を図りたい消費国側の意向も働いていました。加えて、消費国側は二度の石油危機を受けて脱石油・省エネ意識を高め、世界の石油需要は減少傾向にありました。このため、原油市場においては供給過剰感が生じることとなりました。
需給緩和により原油価格が下落することを恐れたOPEC加盟国は、大規模な減産を実施していました。その結果、50%近かったOPEC加盟国のシェアは1985年には30%以下にまで落ち込みました。特に減産の中心となったサウジアラビアは1,000万バレル/日あった生産量を1985年8月には230万バレル/日まで減少させ「スウィング・プロデューサー」と呼ばれる調整役を果たしました。
【第111-1-4】世界の原油生産量とOPECのシェア
- 出典:
- BP統計を基に作成
しかし、減産によるシェア低下に耐え切れなくなったサウジアラビアは、1985年7月に調整役の立場を放棄することを宣言し、9月には増産を開始するとともに、公式販売価格(OSP)に代わる新しい価格決定方式(ネットバック方式:石油製品の市況から原油価格を逆算する方式)の導入を表明しました。また、OPECは同年12月の総会で、それまでの価格重視から世界市場におけるシェア確保へと方針を転換しました。これにより、さらなる供給過剰の見通しが広がり、価格は下落を続けることになったため、1986年6月に行われた次のOPEC総会では減産を実施することが合意されました。
シェアを回復したものの価格低下により財政を悪化させたサウジアラビアは、他のOPEC加盟国だけで なくメキシコやノルウェーといったOPEC非加盟の産油国にも協力を求めて減産を実施し、価格は上昇に転じていきました。
【第111-1-5】原油需給バランス(1984 ~ 89年)
- 出典:
- Earth Policy Institute統計を基に作成
②1990年代
1997年には20ドル前後で推移していた原油価格が、1998年12月には10ドル近辺まで下落しました。しかし、その後約半年で20ドル台まで回復しました。
【第111-1-6】国際原油価格(WTI)の推移(1996 ~ 99年)
- 出典:
- NYMEX公表の数値を基に作成
この時期の原油価格の下落が始まるきっかけは、1997年7月にタイで始まったアジア通貨危機でした。米国と自国通貨の為替レートを固定する「ドルペッグ制」を採用していたアジア諸国は、1995年以降の米国の「強いドル政策」の下、自国通貨高となり、それまでの経済成長の原動力となっていた輸出が伸び悩む等、経常赤字が累積していきました。そこに目を付けた欧米のヘッジファンドが大規模な空売りを仕掛けたため、ドルペッグ制を維持できなくなり、変動相場制を導入したアジア諸国の通貨価格は急落しました。これにより、アジア各国の経済に大きな悪影響を受けるだけでなく、世界的な経済停滞を招き、石油需要減少への懸念が生じました。
こうした動きが出ていたにもかかわらず、1997年11月のOPEC総会では約250万バレル/日の原油増産が決定されました。その結果、原油市場では、将来的な供給過剰感が生じ、原油価格の下落要因となりました。
実際の需要の伸びも1998年に低下していきましたが、サウジアラビアをはじめとしたOPEC加盟国に加え、メキシコ、ノルウェー等の非OPEC産油国も減産により対応し、1999年の価格回復につながりました。
【第111-1-7】原油需給バランス(1996 ~ 2000年)
- 出典:
- 国際エネルギー機関(IEA)統計を基に作成
③ 2000年代
2000年半ばから原油価格は上昇を続け、2008年7月には145ドルを突破しました。しかし、2008年後半には40ドルを割り込むまで急落し、翌年8月には70ドルを超える水準まで回復するという乱高下を記録しました。
【第111-1-8】国際原油価格(WTI)の推移(2007 ~ 09年)
- 出典:
- NYMEX公表の数値を基に作成
原油価格高騰の要因としては、中国をはじめとする新興国の石油需要の急増に加え、中東地域の地政学リスクの増加、1990年代末の原油価格下落を背景としたメジャー各社の上流開発への投資停滞、OPEC加盟国の余剰生産能力の低下による将来的な供給不安などが挙げられますが、実際の需給バランス上は、大幅な供給不足が起こったわけではありませんでした。
この時期の特徴としては、原油先物市場への資金流入が挙げられます。サブプライムローン問題が顕在化した2007年以降、株式・債券市場での運用利益が低迷を続けた時期に、投資家がこれらの伝統資産における運用から商品、不動産を投資対象とする投資方法を拡大したことが背景にあります。こうした中、原油価格は、2007年以降、史上最高値を次々と更新し、サウジアラビアをはじめとする産油国側に警戒感が生まれるほどになりました。
【第111-1-9】NYMEX原油市場の出来高推移
- 出典:
- エネルギー白書2009
2008年9月のリーマン・ブラザーズの経営破綻を契機とする世界同時金融恐慌、いわゆる「リーマンショック」による世界経済の落ち込みにより、世界的に石油需要が落ち込んだことや、原油先物市場からの投資マネーの引き揚げなどにより、原油価格は急落していきました。
価格急落後の2009年1月、OPEC加盟国は前月の総会で決定した420万バレル/日の大幅な減産を速やかに実施し、短期間での価格回復を果たしました。
【第111-1-10】原油需給バランス(2007 ~ 10年)
- 出典:
- IEA統計を基に作成
2.足下の原油価格下落要因と今後のシナリオ
原油価格下落局面を迎えている足下の動向についても、過去の例と比較しながらその要因を探り、今後の見通しについて考察していきます。
(1)足下の原油価格の動き
リーマンショック後に回復した原油価格は、2011年3月には100ドルを超えました。その後も80~ 100ドル台で推移してきましたが、2014年7月以降下落に転じ、2015年1月には2014年のピーク時と比較して5割以下にまで下落しました。その後一旦は60ドル近くまで上昇したものの、2016年には20ドル台まで下落しました。現在(2016年3月末時点)でも30 ~ 40ドル前後で推移しています。
(2)需給面の原油価格への影響と今後の見通し
① 足下と過去の原油価格下落要因の比較
足下の原油価格下落の主な要因は、2015年に約200万バレル/日に達したとされる、世界的な原油の供給過剰感にあります。
2014年は、中国をはじめとする新興国の石油需要が伸び悩んだ一方、2011年以降、原油価格が高値安定的に推移してきたことにより、ロシア・ブラジルなどのOPEC非加盟の産油国での原油増産が続いたこと、急拡大を続けてきた米国のシェールオイルの生産が堅調に推移したことなどから石油市場は供給過剰となりました。
原油価格の下落が続く中でも、これまで原油供給の調整役を担ってきたOPECは原油の減産を見送っています。サウジアラビアをはじめとするOPECがこのような姿勢を取るのは、生産拡大を続けるOPEC非加盟の産油国に対抗して市場シェアの確保を図るとともに、比較的生産コストが高いとされる米国のシェールオイルの減産を狙ったものであるとする見方があります。しかしながら、生産効率上昇やコスト削減などにより、米国シェールオイルの生産量は原油価格が急落した2015年も堅調に推移しており、原油価格の下落などにより石油需要の伸びは回復したものの、世界的な原油供給過剰状態は続いています。
【第111-2-1】原油需給バランス(2009 ~ 16年)
- (注)
- 2016年は予測値
- 出典:
- IEA 「Oil Market Report」(2016年2月)
【第111-2-2】主要国の原油供給増産量と増産要因
- 出典:
- IEA統計等を基に資源エネルギー庁作成
今般の原油価格の下落は、背景に①例えば「リーマンショック」のような経済的ショックを受けたものでないこと、②それまでの高油価によってOPEC非加盟の産油国における原油生産が増加してきたこと、③OPEC周辺でシェア争いが発生していること、などの共通点から、1980年代の原油価格下落局面と比較されることがあります。
一方で、足下の原油価格下落には、1980年代の原油価格下落局面との相違点も見られます。一点目は、二度の石油危機を経験した直後である1980年代においては、世界的に石油への過度な依存から脱却する動きがなされており、先進国を中心に石油需要の伸びは縮小傾向にあった一方で、直近では、先進国の需要は減少傾向にあるものの、新興国の需要は堅調に増加を続けており、今後も新興国の需要の拡大が見込まれており、石油需要全体では拡大傾向にあることです。
【第111-2-3】世界の石油需要の推移
- 出典:
- BP統計2015年版
【第111-2-4】地域別の石油需要増加見通し
- 出典:
- IEA「ANNUAL STATISTICAL SUPPLEMENT FOR 2014 (2015 EDITION)」、「Oil Market Report」(2016年4月)
二点目は、石油需要構成の違いです。1980年代においては、石油から天然ガスなど他の燃料へ代替可能な産業用、民生用、発電用の需要が一定割合を占めていたことから、石油危機を受けての脱石油が進められる環境にあったと言えます。一方で、直近は、石油からの代替が難しい輸送用や石化原料の割合が大きくなっており、石油から代替可能な産業用などの石油需要の割合は小さくなっています。
【第111-2-5】世界の石油需要構成
- 出典:
- IEA統計
三点目は、供給面における、OPECの余剰生産能力の大きさの違いです。1980年代においては、高油価に伴うOPEC非加盟の産油国からの供給増加を受け、特に1980年代前半においてOPECが生産調整役として減産を実施していたこともあり、大きな余剰生産能力を抱えていました。一方で、直近においては、米国シェールオイルの生産拡大に対抗するなどの観点から、OPECは市場シェア維持に向けて高水準の生産を維持しており、サウジアラビアや欧米による経済制裁を受けて減産を行っていたイラン以外にはほとんど余剰生産能力を有していない状況にあります。
したがって、足下と1980年代を比較すれば、足下の方が原油価格の上昇する余地が大きい状況と考えることもできます。
【第111-2-6】OPECの余剰生産能力
- 出典:
- 各種統計資料を基に作成
②需給要因による今後の原油価格見通し
本項では、各種機関の見通しを比較しますが、前項の分析と同様に、原油価格は早期に上昇に転じるとする見方が少なくありません。
(ア)各種機関による中期原油価格見通し
(ⅰ)国際エネルギー機関(IEA)
国際エネルギー機関(IEA)は毎年秋に長期の世界のエネルギー需給見通しを発表しています。その最新版である「World Energy Outlook 2015(WEO)」においては、2014年時点の価格を底として早期に原油価格は回復し、2020年には80ドルに達するとの見通しが、標準的なケースである「中心シナリオ」として示されています。
ただしIEAは、今後も原油価格が低迷し続ける「低油価シナリオ」についても分析しており、その価格見通しでは、2020年時点で55ドルとみています。IEAのWEOにおける価格見通しは、世界の石油需要予測モデルと石油供給予測モデルによって、需要と供給の両者がバランスする価格水準を価格「想定」として発表していますが、低価格ケースにおいては、標準的なケースに比べて、供給サイドにおいてより多くの低コスト供給源の開発が実現するという前提を置いた上での価格見通しとなっています。標準的なケースのような原油価格の下落が短期に解消するケースと、原油価格の低迷が持続するケースの二つのケースを分析している点で、長期的なエネルギー需給見通しとして、バランスのとれたものになっています。
また、IEAの中期的な石油市場見通し「MediumTerm Oil Market Report(MTOMR)」(2016年2月発表)では、原油価格の予測はしていないものの、需給について、2018年以降は需要が供給を上回り、在庫が減少に向かうと予測しています。
【第111-2-7】IEAによる価格見通し(年平均価格)
- 出典:
- IEA「World Energy Outlook 2015」(2015年10月)を基に作成
【第111-2-8】IEAによる需給見通し
- 出典:
- IEA「Medium Term Oil Market Report」(2016年2月)
(ⅱ)米国エネルギー情報局(EIA)
米国エネルギー情報局(EIA)は、地理的な対象範囲や時間軸の異なる見通しを複数発表していますが、ここでは「Annual Energy Outlook(AEO)」(2015年4月発表)と「Short-Term Energy Outlook(STEO)」(2016年3月発表)の2つのエネルギー需給見通しの価格見通しを取り上げます。
まずAEOはEIAが毎年発表する米国一か国を対象とした長期エネルギー需給見通しであり、その中でWTI価格とブレント価格の見通しが示されています。発表時期が2015年4月と1年以上も前の見通しであることもあり、全体的に価格の見通しは高めで、特に2014年の後半から急落した原油価格は、米国のGDPが年率平均2.4%で成長すると仮定した「基準ケース」で、2016年には一転して70ドル台に回復するとみられており、同見通しが作成された時点では、最近の原油価格の下落はあくまで一時的な現象であるとみなされていたことがうかがえます。他方、同見通しでは、米国のシェールオイルが登場したことが国際原油市場に与える影響は非常に大きいとして、原油価格が今後仮に上昇していくにしても、70ドル台の水準にとどまるとしている点は特筆されます。
もう一つのSTEOは、EIAが年に複数回発表する米国一か国を対象とした短期の見通しです。STEOは短期見通しであるため、需給見通しを始めとする全ての分析対象が2017年までとなっており、価格の見通しも2017年までの見通しとなっています。この見通しでは、最近の原油市場の動向を踏まえた見通しがなされており、2017年のブレント原油の平均価格は40.09ドルと、AEOの見通しから大きく下方修正がなされています。特にSTEOにおいては、直近の在庫の高まりが、原油価格回復を抑制する要因になるとしており、2016年では160万バレル/日、2017年においても60万バレル/日のペースで在庫が上昇を続けると予測しています。このため、需要と供給がバランスするのは2017年の第4四半期としており、その時点でもブレント価格は45ドルのままとの予測を示しています。
【第111-2-9】EIAによる価格見通し
- (注)
- *価格はブレント原油年平均価格
- 出典:
- EIA「Annual Energy Outlook」(2015年4月),同「Short-term Energy Outlook」(2016年3月)を基に作成
(ⅲ)世界銀行
世界銀行は2020年までの商品価格全般の見通しを作成し、発表しています。2016年の1月に発表された見通しでは、今後の原油価格について、足元の低迷が2017年まで続いたのち、2020年にかけて緩やかに回復していくとの見通しを示しています。具体的な価格見通しは下表の通りですが、2020年時点での価格はIEAやEIAやよりも低く、中期的にみても価格は低迷を続けると予測しています。
【第111-2-10】EIAによる価格見通し
- (注)
- *WTI原油とブレント原油とDubai原油価格の平均値
- 出典:
- 世界銀行「Commodity Markets Outlook」(2016年1月)を基に作成
世界銀行の見通しは、その価格水準自体は低位にとどまるものの、価格のトレンドとしては緩やかに上昇していくとみている点では、IEAやEIAの見通しと共通しています。その理由として世界銀行は、50ドルを下回るような価格水準では、多くの高コスト生産者が生産を削減せざるを得ず、その結果として需給が引き締まっていくためと説明していますが、この認識もIEAやEIAと共通しています。一方、その価格上昇が小規模なものにとどまる理由としては、2016年初時点の非常に高い在庫や、新興国経済の減速に伴う需要の停滞の可能性、OPECを含む今後の供給ポテンシャルが引き続き高いことを挙げており、特にイランやリビア、米国のシェール油田からの生産が予想以上に大きければ、実際の原油価格は、この見通しの水準を下回る可能性もあるとしています。
(ⅳ)ゴールドマンサックス
米国の投資銀行であるゴールドマンサックス(GS)も、独自の分析に基づいた価格見通しを発表しており、その見通しは先物原油を投資商品として運用する金融関係者に対し、大きな影響力を持っているとされています。GSも年に複数回、価格見通しを発表していますが、ここでは2016年1月に発表されたものをとりあげます。その見通しにおいては、今後の原油価格は中期的にも低迷を続けると見ており、具体的な価格水準については下表に示す通りです。WTI原油については、2016年の平均価格を45ドルと予測しており、その後、2017年から2018年にかけて60ドルにまで上昇するものの、2020年にかけて再び下落を始め、2020年の平均価格は50ドルになると予測しています。価格見通しの水準自体は、世界銀行の見通しと似通っていますが、その価格の推移のトレンドについては、GSは2018年に一応のピークが来た上で再び下落を始めるとみている点がこの見通しの特徴といえます。
【第111-2-11】GSによる価格見通し
- (注)
- *WTI原油とブレント原油とDubai原油価格の平均値
- 出典:
- 世界銀行「Commodity Markets Outlook」(2016年1月)を基に作成
GSの見通しでは、WTIがこうした価格トレンドをたどる根拠について必ずしも明確に示されてはいません。ただ、同社の需給見通しをみると、今後の世界の石油需要については、年間100万バレル/日強の増加が安定的に続くとみている一方で、足元の原油価格低迷による供給減の影響が2017年まで続くとみていること、また2018年以降になると再び年間100万バレル/日以上の供給増加が見込まれていることから、2014年後半以降の原油価格下落にともなう上流開発投資削減の影響が数年間のタイムラグをもって現れ、その結果として供給が減少すると予測されています。その後、原油価格が60ドルまで上昇しますが、その時点で再び供給サイドでの開発投資が進み、供給が増えることで2020年にかけて原油価格が下落するとみているのではないかと推察されます。
【第111-2-12】GSによる世界の石油需給増減見通し
- 出典:
- Goldman Sachs「Americas: Energy: Oil - Integrated」(2016年1月26日)
(イ)各種機関見通しの比較と分析
上記4機関の価格見通しを下の通り図で示しました。予測された時点が後になればなるほど価格水準が下がっているのは、どの予測値も、予測時点での実際の原油価格の推移を基準として考えているためです。その中でもIEAとEIAの双方が2020年時点での価格を80ドル前後と考えていた点は、2015年時点における支配的な原油価格見通しの考え方を反映していると考えられます。
今後の原油価格の推移という点では、GS以外の機関はおおむね原油価格は2020年にかけて上昇するとみているのに対し、GSは2020年時点での価格見通しが2016年時点から5ドルしか上方に見ていないという点で特徴があります。
【第111-2-13】主要機関による原油価格見通し
- 出典:
- 各機関の見通しを基に作成
経済成長率の見通しは、各機関によってその見通しの対象地域や時間が異なるため単純な比較はしにくいものの、全体として言えることは、IEAの見通しは世界銀行に比べて成長率を大きく見ており、EIAの見通しは、米国のみの見通しであるものの、IEAの見通しに近いという点です1。上述の通り、IEAに比べて世界銀行の価格見通しは低水準にありますが、その一因となっているのが、経済成長率の前提の違いとそれによる需要見通しの違いである可能性があります。
【第111-2-14】主要機関による経済成長率見通し
- (注)
- Goldman Sachs社の報告書には経済成長率の見通しの記載なし。
- 出典:
- 各機関の見通しを基に作成
上記の見通しのうち、2020年までの世界の石油需要を掲載しているのが、IEAとGSの見通しだけであるので、需要についてはこの両者の比較を行います。まずIEAについては、2014年時点での世界の石油需要が9,210万バレル/日であるのに対し、2020年時点での石油需要が9,800万バレル/日であり、6年間で590万バレル/日の需要増が見込まれている一方、GSの見通しにおいては同期間で720万バレル/日の需要増加が見込まれています。これは、後者の見通しの方が、発表時期が新しいため、原油価格下落に伴う需要刺激効果がより多く含まれていることによるものです。その一方で、価格見通しそのものは、GSの見通しの方が低いため、両社の価格見通しを分ける要因は供給サイドにあると考えられます。
供給についてみてみると、IEAは2014年から2020年にかけて非OPECの供給増が220万バレル/日、OPECの供給増が180万バレル/日とみているのに対し、GSは非OPECの供給増が330万バレル/日、OPECの供給増が290万バレル/日となっており、ともに供給ポテンシャルを大きくみていることがわかります。特にGSはIEAの見通しと比べるとOPECの供給ポテンシャルを100万バレル/日以上大きくみており、2016年1月に経済制裁が解除されたイランを始め、イラクやリビアなどといった産油国の生産見通しをIEAと比べて高めに見ている可能性があります。これが両者の価格差の大きな要因となっていると推測できます。
上記のような価格見通しの差異が生じるそのほかの要因としては、現在の原油価格低迷の「性質」に対する見解の違いが挙げられます。特に過去の同様の原油価格下落ケースの中での1980年代の油価下落との類似性に関する見解の違いです。1970年代以降の大幅な原油価格の下落ケースとしては、1980年代半ば、1990年代末、2008年と、今回の2014年後半以降の下落の4つのケースがありますが、このうち、1990年代末の下落と2008年の下落は、比較的短期に原油価格が回復したものの、1980年代の原油価格下落時には、その後15年間にわたって原油価格の低迷が続きました。今回の原油価格も、その1980年代の原油価格下落と似通った部分が多いため、同様に長続きするのではないかというのが、GSの見通しに典型的に見られるような、低油価持続ケースを想定する根拠となっています。
【第111-2-15】1965年以降の実質原油価格(ブレント、2014年基準)
- 出典:
- BP統計2015年版
(ウ)各種機関の長期原油価格見通し
IEAのWEO では、2040年まで原油価格が想定されています。これによると、前述の標準的なケースである「中心シナリオ」では2030年に113ドル、2040年に128ドル、「低油価シナリオ」の場合は2030年に70ドル、2040年に85ドルまで上昇するとされています。また、温室効果ガス濃度を450ppmに安定化させたと仮定した、実現には省エネや再生可能エネルギー等に関する技術を各国が積極的に導入することが求められる「省エネシナリオ」も策定しており、この場合は、2020年に77ドル、2030年に97ドル、2040年に95ドルと、途中で下落に転じています。
EIAもAEOで2040年までの原油価格を予測しています。その値は米国のGDPが年率平均2.4%で成長すると仮定した「基準ケース」で、2030年に106ドル、2040年に141ドルとなっており、IEAの「中心シナリオ」に近いものとなっています。
このように、長期の原油価格の見通しには様々なシナリオがありますが、多くのシナリオで、今後も石油需要は伸び続け、価格は足下よりも上昇していくと考えられています。
【第111-2-16】IEA・EIAによる2040年までの原油価格予測と需給見通し
- 出典:
- 各機関の見通しを基に作成
(3)地政学的リスク・金融要因の原油価格への影響と今後の見通し
2010年末から中東・北アフリカ諸国で広まった「アラブの春」と呼ばれる民主化の動きは、リビアを除く産油国の原油生産に直接影響を与えるものにはならなかったものの、原油価格の上昇要因となりました。また、2014年前半のロシアとウクライナ間の情勢緊迫化が上昇要因となるなど、中東以外の産油国関連の政情変動が原油市場に大きな影響を与えることは、過去には見られない特徴です。
足下では、イラクの政情が回復していることや、欧米によるイランへの経済制裁解除によって地政学的リスクが弱まっていることが、下落要因となっています。しかしながら、イスラム過激派組織ISILによるテロの発生やシリア、イエメン情勢の混迷など、中東地域における不安定要素は存在しています。また、非OPECを含む産油国が、足下の低油価により財政不安を起こし、それが政情不安を引き起こす可能性もあります。
地政学的リスクは一たび事態が発生すると、瞬間的に大幅な価格上昇を引き起こす要因となるものであるため、常に留意しておかなければいけません。2000年代の原油価格乱高下の主な要因であった金融部門の影響は、足下の原油価格下落局面においては明確には見られません。これは、米国の資産購入プログラムの終了や利上げにより原油価格への投機資金の流入の動きが弱まっているためとの見方があります。
しかし、原油市場に占める投機資金の取引量の割合はリーマンショック後も増加傾向にあります。
また、長期的には原油価格が上昇したことに伴い、その値動きの幅は増幅しています。特に、投機的なマネーが流入したことで、例えば、地政学的リスクが顕在化した場合など、原油価格に大きな影響を与える事象が発生した場合には、極端な値動きとなることが考えられます。
こうした、原油価格の値動き幅の拡大は、石油開発事業の収益の不確実性を高め、石油の上流開発投資などを行う企業の収益や財務状況に大きな影響を与えることから、継続的な資源開発投資を阻害する要因となる可能性があります。
【第111-2-17】米国原油市場への投機マネーの流入
- 出典:
- 内閣府「世界経済の潮流2015年Ⅰ」
【第111-2-18】原油価格の値動き幅
- 出典:
- NYMEX公表の数値を基に作成
(4)まとめ
原油市場が確立された1980年代以降、原油価格は様々な要因による影響を受けつつ下落と上昇を繰り返してきました。
【第111-2-19】原油価格下落要因と下落期間の比較
- ※
- WTIの下落開始月~ 3か月連続上昇の開始月
足下の原油価格下落局面は、供給過剰が主な要因である点で1980年代に近いと考えられる一方、当時と比較して需要に強さ、供給に弱さ(OPECの余剰生産能力の少なさ)が見られ、将来的には価格上昇に転じるという見通しが一般的です。
需給をベースにした各種機関の予測に基づけば、直近で急激な上昇に転じることはなさそうですが、需給要因だけでは予測がつかない地政学的リスクや金融要因によって価格の急騰が発生することも考えられます。
現在の低油価の状況において、将来的に訪れるであろう原油価格の上昇局面に備え、今後我が国が国内外でどのような対応をしていくことが必要でしょうか。
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- IEAは世界全体の経済成長率と共に米国単体の成長率の前提も示しているが、その数値は2013年から2020年までの年率平均値で2.5% となっており、EIAの前提とほぼ同水準である。