
第10回近畿(京都)
<休憩>
(4)全体による意見交換
1.開会
(小田切)
(岡村)それでは、定刻となりましたので、ただいまから「第10回高レベル放射性廃棄物シンポジウム2001」を開会いたします。
本日は、お忙しい中、このシンポジウムにお集まりいただきまして、まことにありがとうございます。私は、本シンポジウムを開催させていただいております資源エネルギー庁放射性廃棄物対策室の小田切と申します。前半の司会を務めさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
それでは、まず、近畿経済産業局の岡村資源エネルギー部長から、開会のご挨拶をさせていただきます。
今ご紹介いただきました、近畿経済産業局の岡村でございます。経済産業局は今年の1月に、使い慣れておりました通商産業局から経済産業局と名前が変わりまして、21世紀の新しいスタートを切ったわけですが、平素は日ごろから経済産業行政各般にわたりまして、何かとお世話になっております。高いところから恐縮でございますが、まずはじめに御礼を申し上げておきたいと思います。 また、今日は、この高レベル放射性廃棄物シンポジウム2001に、お忙しいところご参加をいただきまして、大変ありがとうございます。主催者を代表いたしまして心から御礼を申し上げるところでございます。(小田切)
さて、近年、いわゆるゴミ問題というのでしょうか、例えばゴミの減量化でありますとかリサイクルでありますとか、あるいはゴミをエネルギー源として有効に活用していくといったような観点での関心が大きな高まりを見せているわけですが、一口にゴミと言いましても、一般家庭、身近なところから出てくるゴミから、今日のテーマになっております高レベルの放射性廃棄物といったようなものまで、いろいろな形態のものがあるわけです。今日のテーマにしております高レベル放射性廃棄物につきましては、原子力発電所で発電に使用した燃料のリサイクルを行ってもなお、最後に残ってしまうという性格のものです。今日はその高レベル放射性廃棄物が議論のテーマです。
この高レベル放射性廃棄物の取扱いをどうするのかということにつきましては、また後程詳しくご説明をさせていただきますけれども、昨年、処分制度の枠組みを定める「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」が成立し、それに基づきまして処分実施主体である「原子力発電環境整備機構」が設立されております。この原子力発電環境整備機構が処分地選定に関する準備を進めてきたわけですが、つい先日、特定放射性廃棄物処分の概要調査地区等の選定手続などに関します基本的な考え方というものが公表されているところです。
一方で、処分に取り組むにあたりましては、国民各般のご理解を得つつ進めていくことが非常に重要だという指摘が重ねられているわけですが、この「高レベル放射性廃棄物シンポジウム2001」は、国民の皆さんに、まずこの問題について広く知っていただくことを目的に、2001年に全国をリレーして開催してきたものです。これまで9か所で開催されておりまして、今回が10回目ということに相成ります。先般、8月10日に大阪市で開催されておりますので、近畿地区では今日が2回目の開催ということになります。また、年内には関東地区でもう1か所開催の予定がございますので、今年、このリレーで11か所でこうしたシンポジウムを開催しているということでございます。
今日のシンポジウムの進行ですが、まず、国、それから先程申し上げました原子力発電環境整備機構から、高レベル放射性廃棄物処分に関する概況についてご説明させていただきます。そののち、科学ジャーナリストの中村浩美さんからご講演をいただき、その後、若干の休憩を挟みまして、処分地選定と住民理解という点を主な議題として、議論・パネルディスカッションをしていただくことになっております。
どうぞお集まりの皆様方におかれましても、こういったシンポジウムの趣旨をぜひご理解いただいて、パネリストの方々の議論はもとより、会場の皆様方からも活発なご意見をいただければと考えているところです。簡単ではございますが、あらためてご参集の皆様方に厚く御礼を申し上げまして、ご挨拶に代えさせていただきます。本日はどうもありがとうございました。よろしくお願いします。
それでは、岡村部長からも簡単にご説明がありましたが、本日のシンポジウムの流れをご説明させていただきます。このあと、まず高レベル放射性廃棄物の処分に関する概況ということで、資源エネルギー庁と、処分実施主体である原子力開発環境整備機構から簡単にご説明申し上げます。その後、本日のパネリストもお願いしております中村浩美さんから、「科学技術と社会の理解」と題したご講演をいただきます。そのあと15分ほど休憩を挟みまして、パネリスト、また会場の皆様方にもご参加いただいて意見交換を行っていくこととしております。
また、本日のシンポジウムでは、「処分地選定と住民理解」をテーマに、重点的に議論を行っていきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
それでは、はじめに、高レベル放射性廃棄物処分に関する国の取組みにつきまして、室長の山形からご説明を申し上げます。左右のモニターテレビが見にくい場合には、お手元の資料の中に、茶色の「高レベル放射性廃棄物の処分について」というパンフレットがございますので、そちらをご覧ください。
それではお願いします。
山形でございます。それでは、まず高レベル放射性廃棄物処分について、概況をご説明をさせていただきます。資料は、テレビにも映っておりますが、お手元のパンフレットにもございます。 まず、どのように高レベル放射性廃棄物が発生するのかということで、原子力発電についてお話ししたいと思います。原子力発電は、そのエネルギー資源の大部分を輸入に依存しているわが国で、今後とも環境を守りつつ経済発展を続けていく手段の1つとして使われています。 この原子力発電は、火力発電などに比べまして、燃料となるウランが価格や供給面で安定していることと、発電するときには地球温暖化の原因となる二酸化炭素を出さないという特徴がありまして、現在、わが国の発電電力量の約3分の1を占めております。(小田切)
そして、長期的にエネルギーを安定的に確保し、そこから発生する放射性廃棄物を適切に処理処分するといった観点から、原子力発電所で使用した燃料、これを使用済燃料と言いますが、そこからまだ燃料となるウランやプルトニウムを回収して再び燃料として利用する「核燃料サイクル」を、わが国の原子力政策の基本としております。
しかし、このように使用済燃料からウランやプルトニウムを除きましても、ほんの数パーセントですが高レベル放射性廃棄物というものが一部残ります。この高レベル放射性廃棄物には、いろいろ問題があります。そういうことをまずは皆様に知っていただきたいというのが、今回のシンポジウムの目的であります。
先程、使用済燃料と申し上げましたが、その大部分、95〜97パーセントほどは、再び燃料として使えるウランやプルトニウムです。それを再処理し、プルトニウムやウランを回収して残ったものの中に、放射性物質といわれるセシウムやストロンチウムというものが残っております。これをガラスで固めたものが、ガラス固化体とよばれるものなのですが、このガラス固化体、昨年末までの原子力発電の結果出た使用済燃料をガラス固化体に換算すると、約14,400本になります。現実にガラス固化体として国内に貯蔵されているものは、青森県六ヶ所村に464本、茨城県に119本で、合計583本が現在日本に貯蔵されています。なお、これから20年後ぐらいまで原子力発電を続けますと、その時点で使用済燃料をガラス固化体に換算すると、約40,000本に相当します。
このように、高レベル放射性廃棄物はすでに発生しているもので、そしてガラス固化体としても貯蔵されております。これを人間の生活環境に影響を及ぼさないように安全に処分するにはどうしたらいいのかということに、われわれは取り組んでいかなければならないと考えております。
では、どうやって高レベル放射性廃棄物を処分していくのかということですが、その処分方法については、これまで国際機関や世界各国でいろいろ検討が行われてきました。例えば、高レベル放射性廃棄物をロケットに載せて宇宙に飛ばしてしまおうという考え方。ただし、この場合はロケットの発射技術、もし失敗したときの危険性があります。また、海の底に沈めてしまう「海洋底処分」ですとか、南極の氷の下に埋めてしまう「氷床処分」というものが考えられましたけれども、現在、これらの方法はロンドン条約や南極条約といった条約で禁止されております。
一方、地上でずっと管理しておけばいいのではないかという考えもあります。しかし、実際に長い間、人間が地上で監視し続けていくことができるのかどうか、そういう問題点がございます。私たちの世代が発生させたものについては、やはりわれわれの世代でできるかぎり将来世代の負担を減らしていく方法を考えなければならないと思います。
このようにいろいろ検討してみますと、地下深くの安定した地層に隔離する「地層処分」という方法が、他の方法と比較して最も問題点が少なく、実現可能性があるだろうということが、国際的にも共通した考えになっております。
わが国でも、高レベル放射性廃棄物につきましては、先程言いましたように、ガラスで固めてガラス固化体にして、それから冷却のために30〜50年保管し、そのあと地下300mより深い地層に処分する、いわゆる地層処分を基本方針としております。
この高レベル放射性廃棄物の処分は、非常に長い、長期にわたる事業となります。その処分を円滑に、そして確実に行っていくために、昨年5月、「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」、こういう新しい法律が成立いたしました。この法律に基づきまして、昨年10月、実施主体である原子力発電環境整備機構、われわれは短く原環機構とよんでおりますが、そういうものも設立されております。また、電力会社が原環機構に処分費用を支払い、さらに処分実施主体が集めたお金をそのまま保管しておくのではなく、透明性の確保から別のところに預けておくというかたちで、原子力環境整備促進・資金管理センターという財団がございますが、そこで国債を中心に運用を行うということも制度化されております。
処分地の選定プロセスについては、詳しくはこのあと原環機構から説明があります。
もう一度ここで法律のスキームをもう少し詳しくご説明しますと、この高レベル放射性廃棄物の処分というのは経済産業大臣が担当しているわけですが、経済産業大臣がほかの省庁の意見を聞いて、基本的な計画をつくったりする。そして、処分費用はどれくらいかかるのかを計算し、電力会社にはこれだけを処分実施主体のほうに払ってくださいと。その払ったお金は、処分実施主体を素通りして資金管理主体にそのまま流れまして、処分実施主体が事業をするときには、そのたびに経済産業大臣の承認を得てから資金管理主体のほうから引き出す、そういうような仕組みになっております。
ただいま述べました仕組みを通じて、今後処分事業が行われていくことになりますけれども、国としても、放射性廃棄物に関する政策を担う立場から、原環機構に対してきちんと監督を行っていくとともに、これから安全規制、また、さらなる研究開発についても、しっかりと進めてまいります。 なお、昨年は、特に高レベル放射性廃棄物の処分には、いろいろな進展がございました。原環機構の設立、研究開発、安全規制面では原子力安全委員会というところが報告を出したりしています。そして、非常に長い話ではございますが、平成40年代後半をめどに、最終処分を開始する予定です。
この高レベル放射性廃棄物の処分ですが、国民の皆様、地域住民の方々のご理解、ご協力を得て進めていくことが非常に重要だということでありまして、このシンポジウムも、皆様のご理解の一助となるようと思い、開催しております。
簡単ではございますが、詳しくはパンフレットに書かれておりますので、またお時間があるときにじっくり読んでいただけたらと思います。国からは以上でございます。
それでは、引き続きまして原子力発電環境整備機構の竹内理事より、処分事業に関する説明をお願いいたします。(竹内)
原環機構の竹内でございます。今、国のほうから、法律ならびに制度につきましてご説明がありましたので、私からは、事業の概要と今後の進め方、特に処分地の選定方法を中心にご説明させていただきたいと存じます。(小田切)
まず、最初のスライドで、私どもが事業を進めていくにあたっての基本姿勢を申し上げますと、まず何よりも大事なことは、安全・確実に進めることです。また、情報公開を積極的に行いまして、透明性を重視しながら進めていきたいと思っております。さらに、国民の方々、地域の方々のご理解を得ながら進めていくこと、この3点を私どもの基本姿勢としているところでございます。 次に、2枚目のスライドで、地層処分の概念につきまして簡単に触れさせていただきますと、その基本は、人間の生活環境から十分に隔離し、深い安定した地層中に埋設することで、これは国際的にも共通の考え方となっているわけです。
ただし、実際の処分にあたりましては、各国の地質環境の違いを十分に踏まえる必要があるわけで、日本の地質環境の特徴を申し上げますと、2点に集約されるかと思います。1つは火山や断層が多いこと、もう1つは地下水が広く存在すること、この2点だと思っております。
このため、まずサイト選定の段階で、火山や断層の影響を避けて安定な地層を選定します。このような地層は、日本国中に広く存在することがすでに知られているところです。次に、地下水による影響を避けるために、多重バリアシステムと申しますが、何重もの工学的な対策を講じます。これにつきましても、国内外で技術的な見通しが得られているところでございます。さらに、このような2つのものからなります地層処分システム全体につきまして、長期にわたる安全性を評価し、確認しながら進めていくという考え方です。
次に、3番目のスライドで、処分費用の確保について申し上げますと、その基本は、将来の世代につけを残さないように今から確実に積み立てること、この点に尽きるかと思います。原子力発電の始まりました1966年から、今後、2020年ぐらいまでの50余年間の原子力発電で発生いたします高レベル放射性廃棄物は、先程、山形さんからご説明のありましたように、約40,000本に相当すると見込まれております。
この40,000本の廃棄物を処分する費用の総額は、あらゆるものを含めて約3兆円と試算されています。これは、今後の原子力発電電力量1kwhあたりにしますと約13銭、過去の分まで含めますと約20銭となります。アワーあたり何銭ということではちょっとわかりにくいと思いますので、電気料金で申し上げますと、平均的なご家庭の電気料金は月7,000円ぐらいですので、これは金額にして約20円、率にして約0.3%になります。
ただ、電力会社の名誉のために申し上げますと、この20円をただちに値上げしたわけではございませんで、ほとんどは電力会社の経営努力の中で吸収されているのが現状です。こういった電力会社を通じていただきます拠出金は、平年分に過去分を加え、これに廃棄物1本あたりの単価約3,600万円を掛け合わせますと、年間約700億円となるわけです。これは、国民の皆様方からいただく貴重な積立金でございますので、透明性を確保するために、外部の財団法人で管理することにしておりまして、また、電気料金への影響をできるだけ小さくするということで、国債等の安全な方法で資金運用しているしだいです。
次に、4枚目のスライドで、今後の事業の運営について申し上げます。まず、積極的な情報公開によりまして、私どもの業務運営が社会から見えるように、透明なものでなければならないと考えているしだいです。この点につきましては、法律や国の方針でも明記されておりまして、制度的にも要求されていることです。
私どもの具体的な方策としましては、例えばホームページ等を通じた積極的な情報公開のほか、第三者による情報公開適正化委員会を設け、私どもの情報公開状況のチェックを受けています。すでに本年5月、10月の2回にわたってご意見をいただいているところでございます。さらに、学識経験者からなります国の高レベル放射性廃棄物処分専門委員会、非常に長い名前ですけれども、この委員会におきまして、私どもの事業について、社会的・技術的な評価を受けておりまして、すでに9月の専門委員会において、あとで申し上げますが、一番基本となります処分地選定の基本的な考え方につきまして、すでにご了解をいただいているところでございます。
また、この処分事業を進めるにあたりましては、地域の方々のご理解・ご協力が不可欠ですので、私どもとしましては、地域活性化のための多様な方策に、地域の一員として取り組んでまいりたいと考えているしだいでございます。
次のスライドで、ご参考までに、諸外国はどうなっているかということを申し上げますと、各国ともに、地層処分計画を着実に推進しておりまして、多くの国で日本よりも10年、20年早く処分実施主体が設立されております。また、資金確保も進められているところでございます。また、実施主体やサイト候補地が未定の国々でありましても、地下の研究施設建設といった研究開発が着実に進められているところです。このうち、最も進んでおりますフィンランドにおきましては、すでにご高承のように、首都ヘルシンキの北西200キロにありますオルキルオトという所を処分地にすることが、5月の国会で正式に決定されているところでございます。
次に、今後の進め方について、6枚目のスライドで申し上げますと、業務の重点としては、将来のサイト選定の準備、処分事業に対する国民の理解の増進、中長期的な技術開発、国内外との技術協力、この4点を行っております。当機構は昨年10月に発足し、平成12年度は数か月しかございませんでしたが、まず、全国を対象としました既存情報によりまして、日本列島全体の地理情報のデータベースづくりに着手いたしました。また、全国の47都道府県に赴きまして、私どもの事業概要をご説明すると同時に、全国3200市町村に対しましても、資料をご送付申し上げているところでございます。さらに、前述のような情報公開適正化委員会を設置し、活動を開始しているわけです。
今年度(13年度)におきましては、私どもの技術的な判断が独りよがりにならないように、国内外の学識経験者によります技術アドバイザリー委員会を設置しまして、今日お見えの中村先生もこのメンバーに入っていただいておりますが、客観的な評価をいただいているところでございます。また、国内外の関係機関との協力を促進するために、包括的な技術協力協定を結びつつあるところでございます。具体的にはここに書いてございませんけれども、海外のフィンランド、スイス、スウェーデンの実施主体と、また、国内におきましては、核燃料サイクル開発機構と、各々技術協力協定を結んでおりまして、今後も順次拡充する予定でございます。
さらに、今後の最大の課題であります立地活動を透明性のある手続きで行いますために、選定手順の基本的な考え方を策定いたしまして、先程申しましたように国の第三者委員会でご意見をいただいたうえで、この10月、つい3日前ですが、正式にプレス発表をさせていただいたしだいでございます。この選定手順につきましては、今後、私どもが主催いたします全国的なフォーラムのかたちで、国民、地域住民の方々に広くご説明し、そのご意見をいただきながら、さらに詳細な検討を行いまして、今後の事業に反映していきたいと考えているしだいでございます。
そのうえで、平成14年度の適切な時期に、選定の第一段階であります概要調査地区につきまして、広く全国の市町村を対象とした公募を行いたいと考えております。この公募にあたりましては、地域の方々に判断していただくための材料を予め公表したいと考えておりまして、また、直接に自治体の方々にもお伝えしていく考えでございます。
判断していただく材料といたしましては、応募の基本的な内容を盛り込みました応募要領、また、それぞれ地域の立地条件によって変わりますので、地域事情を加味いたしました処分場のイメージ、また、サイトとして適しにくい技術的な要件はどういうことか、こういったことを詰めますほか、地域共生につきましての具体的な考え方を提示していきたい。この4つのものを同時的に公表し、その後は、公募に応じていただいた特定の地域におきまして、順次、文献による調査を行いたいと考えているしだいでございます。
次に7枚目のスライドで、処分地の選定プロセスについて申し上げますと、処分地は、3段階を経ながら、ステップ・バイ・ステップで、確実に歯止めをかけながら進めたいと考えております。したがいまして、公募に応じて概要調査地区に選定された地域が、そのまま自動的・機械的に処分地になるということではございませんで、各段階ごとに必ず地域のご意向を確認しながら、選定させていただきます。
次に、具体的に段階ごとの選定プロセスを申し上げますと、まず第1段階の概要調査地区でありますけれども、公募に応じていただいた地域につきまして、過去の地震、噴火、隆起・浸食といったものを文献等で調べまして、その地域の地層が、過去に著しい変動を起こしたことがないことを確認して選定するわけです。希望としましては平成10年代の後半、数年後を目途に選定させていただけたらと考えております。
次に、第2段階の精密調査地区につきましては、先程申しました概要調査地区の中から選定されるわけで、その地域に対してボーリングや物理探査、あるいはトレンチ等を掘りまして、地層が長期にわたってちゃんと安定していることを確認したうえで、平成20年代前半、西暦で申しますと2010年ごろを目途に選定させていただけたらと考えております。
さらに、第3段階の最終処分施設建設地につきましては、先程の精密調査地区におきまして、その場所で地下の試験施設を設置して実際に地下の地質の物理的・化学的な性質を調べ、安全確実にやれることをちゃんと調べたうえで行ないます。これにつきましては平成30年代後半、西暦で2025年ごろを目途に選定したいと考えています。
このような各段階で行われます調査の内容や、その調査結果をどのように評価するかにつきましては、法令でも明確にされておりまして、きちんとした方法で選定していくこととしております。
以上のような3段階を経まして、処分地が決まりましたあとは、その地点の地域特性を十分に加味しましたうえで、10年程度の期間をかけまして、設計、安全審査、建設を行い、平成40年代後半、西暦でいえば2035年ぐらいを目途に最終処分を開始することが、国の計画にも盛り込まれているところでございます。
8枚目のスライドで、処分地の選定にあたりまして、地域の方々のご意見をどのように反映するかにつきまして、これを概要調査地区を例にとってご説明したいと存じます。
その基本的な考え方は、予め手順をオープンにいたしまして、透明性のある手続きで地域住民の方々のご意見を十分に尊重しながら進めていく、この点に尽きるかと存じます。具体的に申し上げますと、まず、公募に応じていただいた地域に関して文献調査を行いますが、その結果につきましては、報告書と要約書を作成いたしまして、関係都道府県知事、市町村長にご送付申し上げるとともに、広く住民の方々に見ていただく機会をつくりたいと考えております。
次に、関係都道府県内におきまして、大小さまざまな説明会を開催いたしまして、地域住民の方々に対して報告書の内容についてご説明すると同時に、住民の方々から広くご意見をいただく所存でございます。さらに、提出されました意見につきまして、概要をとりまとめるとともに、当機構としてどのように考えるかということを、ちゃんと整理しましたうえでお伝えしたいと考えているしだいでございます。
以上のような双方向の対話を通じまして、地域の方々のご意見を十分に確認したうえで当機構として概要調査地区を選定するわけでございますけれども、これはあくまで暫定的なもので、国による正式な手続きを経て初めて認められるわけです。
そこで、国の正式な手続きを申しますと、最終処分計画に盛り込まれることが必要でございまして、経済産業大臣は、その地域を管轄する知事、市町村長のご意見を聞き、これを十分に尊重しなければならないと、法律でも明記されております。また、国の最終処分計画に具体的な地域名、何々町の何々地区とか、そういった記載をするにあたりましては、閣議決定というかたちで、政府全体の計画として正式なものとするわけでございます。
以上、概要調査地区選定を例にとりましてご説明してまいりましたが、その後の第2、第3段階であります精密調査地区、最終処分施設建設地についても、全く同様な手続きを踏みまして、地域の方々のご意向を確認しつつ、段階ごとに選定する考え方でございます。
特に、処分地選定の各段階におきましては、地域住民の方々のご理解とご協力が不可欠であり、お手元に別途配布しておりますより詳しい資料にもございますように、調査の各年度ごとに調査計画の事前説明、事後報告を行うこと、調査にできるだけ地元の方々に参画していただくこと、現場確認のお申し出があれば、実際にその場所を見ていただくこと、また、必要に応じまして随時国内外の関連施設を見ていただく、こういったことも併せて行いたいと考えているしだいです。
最後に、私どもは、あくまで安全確保を大前提にいたしまして、積極的な情報公開を図りながら、国民、住民の方々の信頼を得ながら進めていきたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。
それでは、前半の最後としまして、中村浩美さんから「科学技術と社会の理解」と題しましてのご講演をいただきます。中村さんは、科学ジャーナリストとして、宇宙開発、先端技術などの科学技術分野、さらに、地球環境、エネルギー、国際関係、メディア、旅行文化など、幅広いジャンルでご活躍されています。また、本シンポジウムにおきましても、第9回の高松会場でコーディネータをお願いしております。3.講演「科学技術と社会の理解」
それでは、中村さんよろしくお願いいたします。
ご紹介いただきました中村浩美です。今、国と原環機構さんのほうから高レベル放射性廃棄物処分に関するご説明があったわけですけれども、ここからは一度一般論に立ち戻りまして、科学技術と社会の理解というテーマで、30分ほど時間をいただきましたのでお話ししたいと思います。(小田切)
まずは科学技術と社会の理解、結論からいうと、現状はほとんど絶望的という感じです。なぜかというと、科学技術そのものがやはり見えないというのが、特に現代科学技術の特徴ではないかと思うわけです。
一つには、非常に科学技術というものが進み、私たちの目の前に来たときにはもうほとんどブラックボックス化しているということが、大きな背景にあるのではないかと思うわけです。科学技術という言い方をしますけれども、もともと科学と技術というのは、歴史的にも異なっておりますし、異なった営みだったはずなのですが、現代ではこれがもう一体となっているという感じです。で、科学と技術、サイエンスとテクノロジーという言い方をしますけれども、これは何かというと、科学というのはたぶん理論であって、技術というのはそれを実践するものだろうと。言い方を換えると、科学というのは人間が手にした知恵で、テクノロジー(技術)のほうは道具だろうというふうに考えていいと思うのですが、これがもうほとんど渾然一体となっているというのが現代科学技術だろうと思うのです。
先週、実は東京で国際科学技術ジャーナリスト会議というのが行われたのですけれども、昨日あたり、読売新聞の全国版にちょっとそのリポートが載っていて、そこでも指摘されたのですが、一体化した科学技術というのが、車の両輪のようなかたちになって、今、爆走しているところだという報告というか現状認識が、その会議の中でなされました。そのときに、両輪になって科学と技術が爆走しているだけではなくて、そろそろ暴走しているのではないかというような認識もあったわけなのですが、とにかく、科学技術といわれても、現実には私たちはほとんど知らないというのが本当のところだろうと思うのです。
科学も技術もわからないのだけれども、その成果というか、その結果というものについては、かなり日常的になっていると。場合によっては享受しているという言い方をしてもいいと思うのですが、例えば通信とか放送のシステムや技術など、ほとんどわからないながらもわれわれは通信や放送をもう日常的に利用しています。携帯電話などもそうですし、それから、電気製品を考えればそうです。マイクロウェーブの理論がわからなくたって、チンとやればものが温まったり加熱してお料理ができるということはもうわかっているわけですが、科学技術そのものはほとんどわからないというか、ほとんど関心を持っていないということが非常に多いと思うのです。石油製品や化学製品などにしてもそうでしょうし、いまや自動車だってそうです。電子制御か何かになっていて、どういうふうにコントロールされているのかわからないけれども、とにかくハンドルを持ってアクセルとブレーキを操作すれば動くということしかわかっていないという感じです。
今日、私は新幹線に乗って京都へ来ましたけれども、その新幹線だってそうでしょうし、私のもともとの専門である飛行機、航空機もそうです。それから、製品やサービスというかたちで科学技術の成果をわれわれが享受しているということでいえば、電力などというのもその一つということになるわけですけれども、ほとんど一般の皆さんというか、われわれは、その科学技術の原理やシステムには、通常はまず無関心です。それが秘めているリスクなどというものについても、普段はほとんど考えないというか、リスクを認知するレベルが非常に低いというか、リスク度を自然に低いと判断したものについては、もうほとんどリスクなどというとらえ方をしていないというような現実にあると思うのです。
ところが、実際に一体化した科学技術が生み出した成果というのは、われわれの社会の中で、かなり恐ろしい働きをしている部分もあるわけです。ですから、国際ジャーナリスト会議の中でも指摘されたのですが、いまや現代の科学技術というのは、やろうと思えば何でも実現できるところまできていると。ですから、これから科学技術が何を実現すべきで何を実現すべきでないかということを、やはり公正に判断をすることがジャーナリズムには要求されてくるのではないか。現状は、残念ながらほとんど科学者や技術者のメッセンジャーにすぎないのではないかという、ジャーナリズム、マスコミに対する厳しい批判もあったわけですけれども、やはり科学技術が何を実現すべきかというのは、科学者や技術者が決めることではなくて、やはりこれは社会がというか、われわれ市民が決めていくべきものなのではないかという印象を持ちます。それぐらい現代科学技術というのは、行き着くところへいっているという感じなのです。
極端な例で言いますと、例えば遺伝子操作やクローン技術、その辺を考えると、どこまでいくのか、実現できることは何でもやっていいのかという問いかけに対する答えが、皆さんの中でも見つかるのではないかと思うわけです。
現代科学技術の非常に複雑なというか、難しいところというのは、かつての古典的な道具であるとか機械であるとかというものは、それを使った結果がかなり見えやすかったわけです。機械や道具そのものもきわめてシンプルなものでしたから。ところが、やはり現代の科学技術というのは、トータルな結果についてはほとんどわからないことが多いのではないかと思うのです。その科学技術の成果を使った結果というのが、人類社会や地球環境というものにどういう影響を与えるかがなかなか見えない。ここに非常に大きな課題があるのだろうと思うのです。
もともと科学と技術というのは、別々の歴史、背景を持っていると申し上げましたけれども、その理論である科学というのが研究をされて、その結果が出てきた。それを実現しようとするのが技術の部分ですよね。実現したかたちで今度は社会に入ってくる、われわれのところへやってくる、こういう仕組みだと思うのです。
ところが、科学、理論が見つかって、それを技術で実現していくことが、ほとんどもう一体の行為としてなされている部分があって、しかも、技術が実現するものというのが、ほとんどビジネスと結びついているということがあると思うのです。いまや科学技術が経済の仕組みの中に完全にビルトインされているのだというとらえ方もありまして、それだけに先程のジャーナリズムやマスコミの責任も重大になってくるわけです。極端な言い方をすると、現代科学技術というのは、もうほとんど奉仕しているという言い方をしてもいいのではないかというぐらいですよね。これは経済に奉仕しているからいいのか悪いのかという話ではなくて、もうそういう世界になっているのかもしれないのです。
ある分析によると、フランス大革命がその境目だというのです。フランス大革命というのは1789年に起きるわけですけれども、そこで世界史が政治中心の世界から、経済中心の世界に、実は大変革が行われたという分析なのです。国家というのは、実は政治をするものではなく経済をやるものになってしまった、国家というのがもう経済に仕えるものになってしまった、その境目がフランス革命だったと。それ以後は、したがって芸術であろうが学問であろうが技術であろうが、すべてが経済に奉仕するものになっているのだという分析もあるぐらいなのです。
そういう中で、科学技術の担い手が、かつては科学者、技術者はエリートだったわけです。学問できる人というのが限られていましたから。例えば、ガリレオ・ガリレイの時代というのは、科学技術はラテン語で語られたわけです。ラテン語で語られ、ラテン語で書かれた、一般市民にとっては何も縁のないもの。これが変わっていくのは17世紀ぐらいにイギリスで変わっていくようなのですが、それまではラテン語で語られているということは、これは教会もそうだったわけですけれども、念仏を聞いているのとほとんど一緒ですよね、一般の人にとっては。かつて科学技術はそういう存在であったわけです。
では、現在はどうかというと、現在はもちろんラテン語は使わないで、もちろん日本人には日本語で、英語圏の人には英語で科学技術は語られてはいるわけですけれども、しかし、その科学技術の専門的な用語というものについては、本当に日本語だろうかと思われるようなものがまだまだたくさんありますよね。ということは、かつてのラテン語とほとんど変わらないということになるわけで、やはり科学技術の担い手というのは、市民に、私たちに、社会に、いかに平易に科学技術というものを説いていくかが必要だと思うのです。ところが、科学技術の担い手というのは、とかくそういうことは怠りがちで、自己目的的に実現をしていく。それは結局は経済に奉仕することになるかもしれないのですが、実現をすることにとにかく目がいくばかりで、社会や市民に対して説明義務があるなどとは思っていない人のほうが多いということで推移してきたような気がいたします。
これからの科学技術と社会の関係を考えると、やはり双方向のプロセス、担い手のほうもわれわれ受け手のほうも、両方で発信、受信できる双方向のプロセス、あるいはもう今まで考えられていたのとは全く違う新しいコミュニケーションのモデルというものも必要になってくるかもしれません。それから、一般社会が、一般市民が、科学や技術に容易にアクセスできる、そういうシステムや方法の確立も重要なのではないかと思います。
そのようなかたちで現代科学技術というのはあると思うのですが、そんな中で、先程申し上げたジャーナリスト会議の中でも、これから求められるのは、結局、科学技術そのものではなくて、それを支える科学哲学なのではないかという指摘がありました。これは見方を変えますと、科学技術というものの社会学的な分析というものが、これから必要になってくるのだということなのだろうと思います。
そういう科学技術の本質論をいつまでしていても時間がなくなってしまうだけですので、具体論に移ります。そういう科学技術の現状にはあるのですけれども、われわれほとんど普段は知らないわけですが、ときどき関心を持ちます。関心を持つのは、ある結果に直面したときです。たいていその結果というのは、事件や事故、トラブルというかたちになったときです。そのときにあらためてリスクというものをわれわれは意識するわけです。
自動車事故や飛行機事故、鉄道事故あたりが一番代表的なところだと思いますけれども、それ以外にも、「えっ、そう言えばそうだっけ」「そんな怖いことだったの」「えっ、私たちにもそんな加害者責任があるの」と思わされたのは、例えばフロンガスの問題、オゾン層の破壊の問題などもそうでしたし、ダイオキシンなどもそうですよね。そして、先程も少し触れましたけれども、遺伝子組み替え食品などに直面したとき、さらに今、一番注目されるべきは、やはりクローン技術ですよね。SFの世界がもう現実になって、人間は神かという感じになってくるわけで、身近なところでいうと、さらに生活廃棄物や産業廃棄物の問題、そして原子力発電所のトラブルの問題。それから、忘れられないJCOの事故のようなもの。そんなことに直面するとは思わなかったというようなことが起きたときに、私たちは初めてリスクというものに気が付いて、メリットと引き替えに自分たちは結構危ういところにいたんだなと、もっともっとリスクというものを正面から見据えなければいけないのではないかというようなことに気が付いてくるわけです。
そうは言ってもどこかに科学技術というものを、片方では万能というか、きわめて日常的に、例えば今の若い人たちの携帯電話のように日常的に使いこなしていて、コンピュータなどもそうかもしれません、非常に身近だと思われている反面、メリットは享受しているのだけれど、どうもその先にリスクはありそうだと気が付くこともあります。先程挙げた極端な例などは、かなりシリアスな現実に直面してはっと気付かされるわけですけれども、何となく潜在的に、「リスクはやっぱりあるよな」と思っていることもありますよね。交通事故や飛行機事故、列車の事故などはその辺の代表ということになってくるわけですが、しかし、この辺は普段はあまりリスクとして考えなくても済むもの、あるいは自分で気を付けていれば避けられるリスクなのです。こういうものについては、あまりその背景の科学技術がどうであろうが気にしない。そういうことがあります。 それから、事故の確率論ということがよく言われますけれども、確率論というのはたぶん数学的なモデルは専門家である科学者のものであって、一般市民にとっては本当に確率論で納得するかというと、そうでもないと思うのです。ただ、相対的に確率論から言っても遭遇発生可能性の低いものについては、何となく経験則でそんなにリスクを重視しないということはあると思うのです。
それから、自分に選択の余地があるもの、あるいは余地がある行為については、やはりリスクをそんなに感じないでいられるのではないか。それから、メリットがきわめて大きいことが明白な場合には、その背景に多少のリスクがあったとしても、やはりメリットのほうを取るという判断が、日常的に行われていけばいいわけです。しかし、こういった判断が行われたにしても、それは科学技術というものを理解したこととはちょっと別の問題に、たぶんなってくるのだと思うのです。
ですから、今日もこのあとパネルディスカッションでいろいろなお話が出ると思うのですが、科学技術と社会の理解という、今日の私のテーマの設定自体が、もうすでにずれているのではないかという感じがします。
科学技術の社会的な考察というようなかたちで考えてくると、社会の理解とか何とかということでは、どうもないような感じがしないでもありません。あまり私も考え方が明確になっているわけではないので、中途半端な言い方になるのですが、ただ、先程からリスクのお話をしていますけれども、リスクをどうとらえるかというのは、非常に科学技術と社会との関係を考えるときに、重要な要素になりそうに思います。
ちょっとここからは、このあとまたご紹介しますけれども、カナダのエゴン・フレッシュさんという人の論文では、リスクというものをわれわれが考えるときに、影響を与えるファクターというものがいろいろ挙げられているわけですが、そのリスク認知に影響を与える要因によって、リスクを大きいと感じたり小さいと感じたりするものがあるということなのです。そのファクターがいろいろなテーマに共通するので紹介したいと思うのですが、全部紹介するとたくさんありますので、今日のこのあとのお話にも関係ありそうなものをいくつかご紹介しますと、1つ、自発性というものがあります。自分の選択に基づいてリスクを引き受けようという場合は、自分で選択できるならあまりリスクそのものを高いと感じないですよね。例えばスポーツの場合がそうです。スキーやパラグライダーをするというのは、自分の自発性に基づくリスクなので、その自発性が確保されていればそんなにリスクが高いとは感じないというものだと思います。
それから、制御可能性。自分がリスクをコントロールできると思えば、そんなにリスクを高く感じない。代表的なのが自転車や自動車の運転ということになると思います。それから、組織への信頼感、これも大きいと思います。リスク管理の運営の責任を負う組織や事業体というものに対する信頼感があれば、リスクは当然低く見られます。でも、そこのところに疑問があると、当然高いリスクの要因になってくると思います。
それから、破局的事態の可能性。つまり、これは人間が死ぬということにつながると思うのですが、ただし、この破局的な事態が分散しているときには、あまりわれわれはリスクを高く感じていないのです。その代表的なものは交通事故です。交通戦争などといわれて、年間何万人、小さな町1つぐらいの人口が亡くなっているわけですけれども、しかし、それが一挙に起きているわけではありません。1年間かけて全国各地で少しずつそういう事態が起きているから、そういうものについては何となくリスクは全体的にそんなに高いとは、われわれは感じません。ところが、アメリカの同時多発テロなどもありましたが、航空機事故や化学工場が大爆発して住民の皆さんに影響を与えたとか、そういうふうになると、これはやはり非常に破滅的な事態が集中していますから、それについてはやはり非常にリスクが高いとわれわれは感じるわけです。
それから、精通度というものもあります。よく知っているかどうかということです。よく知っているリスク、つまり、何か危険があるよというものについては、われわれはよく知っていれば、当然リスクとしては低く考えます。でも、よくわかっていなければ、やはりそれは何かちょっと心配だなと、当然リスクは高く感じます。
例えば、家の中で階段から落ちてけがをすることもあるわけですが、そんなものは注意していればどうってことはない、自分の家の階段のことはよく知っているのだから、そんなものについてはあまりリスクを高く感じないですよね。でも、原子力などはその代表だと思いますが、原子力関連施設などについてはよく知らない人が多い。よく知らないからよけい怖い。やはりリスクは相当大きく感じてくるのではないでしょうか。
これに関連して言うと、科学的な理論というものが確定しているかどうかもかなり大きいでしょう。確定していなくてもいいのですが、確定しているように見えるかどうかということだと思うのです。そういう科学的な不確かさも当然リスクの要因になるわけで、例えば火事がなぜ起きるかは皆が知っているわけですから、そのリスクについては科学的な不確かさはそんなにないわけで、火事のリスクというのはそんなに高いリスクだとは感じていないと思うのですが、やはり放射能関係のことは、まだまだ研究段階でも理論が分かれる部分もたぶんあると思うのです。そういうものについては、「やはりちょっと、学問の世界でも確定していないのは不安だな」というかたちでリスクを大きく認識するということが出てくるのではないかと思います。
それから、事故や事件が起きたかどうか。それをどう管理したか。そういう実績というものも、当然われわれがリスク判断をするときにどちらに傾くかという重要な要素になってくると思います。 それから、当然、リスクを考えるときには、先程からお話ししているように、メリットが明白であれば多少のリスクはいいやという場合も随分ある。しかし、メリットがあんまり明白ではないとき、本当にメリットはあるのかなというようなことになってくると、その辺、リスクを逆に大きく認識することになります。原子力発電などは、たぶん不幸にしてその一つの例ではないかと思うのです。先程もお話があったように、われわれの電力の3分の1をまかなっているにもかかわらず、あまり大消費地ではありがたいなと思って電気を使っているわけではありません。そういうこともたぶん影響してくるのではないかと思います。
それ以外にも、いろいろなファクターがあると思いますが、先程申し上げたジャーナリズムやマスコミなどがどういうふうに注目するかということも、われわれがリスクを認識するときにどっちへ傾くか、リスクが低いと感じるか、リスクが高いと感じるか、その大きなファクターとして関係してくるのではないかと思います。
その中で、リスク認識がどちらにふれるかで、科学技術の結果としての成果、サービス、商品、製品というものについても、われわれがどう感じるかは違ってくると思うのです。一つ興味深い例として挙げたいのが、原子力と宇宙開発です。宇宙開発というのは私の専門の一つなのですが、アメリカで考えますと、宇宙開発の先進国ですし、もともと国家政策として宇宙開発が行われていて、その背景には当然冷戦下の軍事競争というものがあったわけです。ですから、宇宙開発が国家目的だということをアメリカ国民はよく理解して、宇宙開発計画というものを基本的に支援しているということがあるわけです。実はアポロ計画の直後にそうでない時代もあったのですが、スペースシャトルが飛ぶようになって、またまたそういう国民理解が進んでいるように思います。
国家目的と直結しているからみんな支持しているというところは、特にアメリカの人は多いと思うのです。何かがあるとすぐ一つになる人たちですから、現在の状態を見ても、「ゴッド・ブレス・アメリカ」で、全員一丸となるというのがアメリカ人なのですが、では、日本の宇宙開発はどうかと考えますと、たぶん今日お集まりの皆さんの中にも、日本の宇宙開発がどういう現状にあって、どういう技術が日本で開発されて、どういう技術ではアメリカから遅れていて、今何をしているのか、よくわかっている方はほとんどいらっしゃらないと思うのです。ISS(国際宇宙ステーション)計画の中で日本が重要な役割を果たしているとか、この間やっと成功したH−IIAという国産のロケットはどういう意味を持っているのかとか、それから、実は今、宇宙探査機、惑星探査機の一つ、日本が開発した「のぞみ」が火星に向かっているのですが、これがいったい何をしに行こうとしているのか、そんなものが本当に飛んでいたのかというレベルで、たぶん、宇宙開発の現状というものについては、ほとんどの方がご存じないだろうと思うのです。
先程のISS宇宙ステーションについても、日本独自のモジュールというのを3,500億円ぐらいかけてつくっているわけですけれども、そんな税金を使っているということも、たぶんほとんどの人が知らないだろうと思うのです。それだけのお金を使うのが是か非かという話が行われたためしはどこにもないというのが、宇宙開発なのです。これは何かと考えると、結局はわれわれ国民の共同幻想の上に成り立っているのが日本の宇宙開発政策かなという感じがしないでもないのです。何となく宇宙というと、「ああ夢がありますね」とか、「いいですね」という話になります。目的や技術、コストなどは全然理解していなくても、「宇宙開発、いいじゃないですか」「日本人宇宙飛行士が、宇宙へ行くんですか」となるのは、ほとんど共同幻想なのだろうと思います。どうしてそういう共同幻想を抱けるかというと、具体的に強烈に反対する理由が見つからないということがあるのだと思うのです。そのあたり情緒的というか、感情的というか、そういうレベルの話なのですが、その対極にある原子力だと、原子力のことをよくわかっている方、よくわかって反対する方もいらっしゃるし、よくわからないでどちらでもいいやと思う人もいるし、よくわからないけれども何となく嫌だという人もいて、いろいろいると思うのですけれども、宇宙開発については何となく「支持してもいいんじゃない?」という声が多い一方で、原子力だと「何となく支持したくないな」「支持する理由が何となく見つからないな」というのが、一般のたくさんの人たちの大勢ではないかという感じがするのです。具体的にはよくわからないという意味では、宇宙開発も原子力も同じなのだけれど、でも何となくこちらのほうには危険性を感じるな、何となく不安感を感じるなと、そんな状態に、今あるのではないかと思うのです。
宇宙開発もこのままではやはりだめで、それこそ社会との関係を考えて、国民の皆さんに本当に理解してもらう宇宙開発になっていかなければいけないと思うのですが、そういうことを考えていくと、極端な原子力と宇宙開発のわれわれの受け取り方というお話をしたのですが、これからやはり社会との関係の中でどうしたらいいかというと、先程から申し上げているリスク認知ということです。リスクが低いと感じるファクターというものを正しく分析して、それに応える実行をしていかなければいけないのだろうと思います。大事なのは自発性、制御可能性、組織への信頼性、その技術についてよく知っているかどうかという精通度ですから、やはり情報の徹底した公開や、その方法やシステムを再構築することなどが非常に重要になってきます。今までの原子力政策は、伝えたいことを伝えるという広報活動だったような気がするのです。そのあたりで、知りたいことに答える、しかもきめ細かく市民の知りたいことに答える広報というか、これはもう公聴になってくるのかもしれませんが、広報・広聴というものが必要だと思います。公聴というのは一つフィードバック機能なのだろうと思いますが、伝えたいことを伝えた。しかし、知りたいこととは違っていたというフィードバックがあったとき、ではそのフィードバックに対してどう答えるか、こういう双方向のキャッチボールがずっと行われていかないと、社会と科学技術との関係はうまくなっていかないのだろうと思います。
具体的な話で言いますと、原環機構さんなどもいろいろなことを考えておられるようですが、私も原子力関係の立地の皆さんなどとお話しする機会もあるわけですが、やはりこれからはさまざまな規模で、何百人一緒にというのもいいですし、5人、10人単位も必要だと思うのですが、いろいろな規模で、あるいはいろいろな対象の人たちと一緒に考えていく、対話をするとか懇談をするということだと思いますが、そういうことが非常に重要になってきて、今、情報公開、情報公開といわれていて、情報の共有ということが非常に重要視されていますが、やはりこれからは情報の共有の先の、認識の共有というところまでいかないと、科学技術と社会との関係は望ましいかたちにはなっていかないのではないかと思います。
ここまでお話ししたところで、もうほとんど時間がきてしまいましたので、具体的な高レベル放射性廃棄物の関連については、後程、パネルディスカッションのときにまた機会があれば、私に時間が与えられましたらお話ししたいと思うのですが、先程、原環機構の竹内さんからお話がありましたが、確かに地層処分というのは、技術的に世界の共通認識なのです。ただし、順調に進んでいますと先程ご説明があったのですが、あまり順調には進んでいないのです。フィンランドが国会決議をしたことが非常に前進だったわけですけれども、現実に地層処分がいいという技術的な報告は出ているのですが、それを実行したのは、まだアメリカの特殊なものが1つあるだけなのです。ニューメキシコ州にWIPP(ウィップ)という施設があって、これは軍事用の超ウランの処分地なのですが、これもやはり地下なのです。私も行ってきましたが、アメリカのニューメキシコからテキサスにかけては、地下に600m潜りますと2億2500万年前の岩塩層があるのです。その岩塩の中にトンネルを掘って部屋を造り、そこに軍事で発生した超ウランの処分をしているのです。そこはもう実際に、実験施設とはいいながら始まっているのですが、それ以外は、アメリカのネバダのユッカマウンテンというのも、トンネルはもう掘られていますけれども、まだ最終決定はしていませんし、なかなか難しいところにあるのです。
そのあたりについても、先程少しリスク認知でご紹介したカナダのエゴン・フレッシュさんが分析をしていて、一つだけご紹介しますと、やはりまだまだ世界各国とも、十分に理解をされて順調に進むには、もう少し時間がかかりそうなのです。相当ステップが必要で、技術的には安全性は確かめられたといくら説明しても、やはりなかなか心理的なバリアのようなものが皆さんの中にあって、どうなのかというと、もう少しオプションがないのか、それはもう確定してしまったことなのか、われわれにもう少し選択権はないのかという声が、やはり一般の国民や地域の方から出るのです。日本はまだそこまでいっていませんから具体的な話は出ていないのですが、ヨーロッパやカナダでは随分そのような声が出ているようです。
その辺をいかにこれから調整できるかが、世界中が直面している課題だと思うのですが、一般市民や地域の住民の皆さんをキャンペーンの対象としてではなく、重要なパートナーとして、そのプロセスや決定に参加してもらうかどうか、たぶんここにかかっているのではないかということが、カナダでの経験を踏まえて、パブリック・コミュニケーションの専門家であるエゴン・フレッシュさんという人の言葉にありましたので、それをご紹介して、関連のほかの話は時間もきてしまいましたので、後程、パネルディスカッションの中で機会が与えられればお話をしてみたいと思います。
まとまりのない話で申し訳ありませんでした。ご静聴ありがとうございました(拍手)。
中村さん、どうもありがとうございました。
それではここで、休憩を挟ませていただきたいと思います。今から15分弱ということで、14時55分まで休憩とさせていただきます。会場後方では、高レベル放射性廃棄物に関係する展示やパンフレットなどのご提供をさせていただいておりますで、どうぞご覧ください。ロビーには飲み物も用意してございますので、どうぞそちらもご利用ください。
また、受付で皆様にお配りしました資料の中に、アンケート用紙が入ってございます。こちらは今後のシンポジウムに生かしていきたいと思っておりますので、忌憚のないご意見をお寄せいただければ幸いです。それでは、14時55分まで休憩とさせていただきます。
<休憩>
それでは、シンポジウムの後半を始めさせていただきます。(小沢)
まず最初に、コーディネータをご紹介させていただきます。本日は、コーディネータとして、小沢遼子さんにこのシンポジウムの議事進行をお願いしています。小沢さんは、社会評論家として幅広い分野でご活躍中でございます。
それでは、小沢さん、よろしくお願いいたします。
小沢でございます。本日のコーディネータを務めさせていただきます。よろしくお願いします。 今日、参加してくださいました方々は、現在の時間で161名です。最初は150人くらいかと想定していたのですが、188人の方がご応募くださいまして、皆様をお招きしましたが、161名ということになっております。そのほか、報道の方が2社みえております。お忙しい中を皆さんご参加くださいましてありがとうございました。(角野)
さて、これから、パネリストの方々や会場の皆様と一緒に議論を進めてまいりたいと思います。処分地の選定など、いろいろな問題が新しく起こっておりますので、今日は大きなテーマとして、処分地選定と住民理解ということになっております。先程、「科学技術の社会的受容性」などのお話もありましたが、あとは、「処分地選定プロセスと住民理解」「地域共生のあり方」という点についてお話をしていこうかと考えております。最後にと言いますか、高レベル放射性廃棄物についての議論も、全体的にしてみたいと思っております。会場にいらっしゃる皆様も、どうぞ一緒に参加してくださいますよう、お手を挙げてくだされば、随時ご発言をお願いしていきたいと思っております。
それから、今日は非常に少ないのですが、会場にお入りいただく前にご意見をいただいております。それも随時パネルディスカッションの中に交えていきたいと思っております。非常に時間が短くなっておりますので、ご意見を集約したり、結論が出たりということができるかどうかわかりませんし、それを目指しているわけでもないので、ご不満も残るかと思いますが、よろしくお願いします。
それでは、パネリストの方々を、まずご紹介いたしましょう。私のお隣から、京都大学大学院エネルギー科学研究科エネルギー社会・環境科学専攻修士課程、学生さんはいつも肩書が一番長いのですが、2回生でいらっしゃいます、角野綾子さん。
角野綾子です。よろしくお願いいたします。(小沢)
次が、京都大学大学院エネルギー科学研究科教授、神田啓治さん。(神田)
神田でございます。(小沢)
次は、福島大学経済学部教授、下平尾勲さん。(下平尾)
下平尾です。地域の立場から意見を述べたいと思っております。(小沢)
よろしくお願いします。(竹内)
次が、先程ご発言をいただきました、原子力発電環境整備機構理事、竹内舜哉さん。
竹内でございます。よろしくお願いいたします。(小沢)
次は、富士常葉大学学長、地層学が専門でいらっしゃいます、徳山明さん。(徳山)
よろしくお願いいたします。(小沢)
最後になりますが、科学ジャーナリストの中村浩美さん。(中村)
よろしくお願いします。(小沢)
以上の方々で議論を進めていきたいと存じます。(角野)
最初になってしまうのですが、会場のムラカミさんという方からペーパーをいただきました。この方は学生さんでいらっしゃいます。原子核工学科に所属していらっしゃるのだそうですけれども、全然人気のない学科で、その中でも原子力に興味のある学生はほとんどいない。原子力の将来にはいろいろ皆不安を持っているけれども、学生たちは情報や電子などの方向に行ってしまって、原子力に全然興味を持たないのは、後継者がいないという点で、原子力に現在携わっていらっしゃる方々にとっても大変心配なことなのではないか。先生はかつて花形の学科だったので、優秀な方がそろっているそうですが、学生は興味を持っていない。20年、30年後の計画をいろいろ発表しているけれども、跡を継ぐ者がいなくて、いったいどう考えているんだと、こういう話が出ています。自分も興味はあるのだけれども、でも将来不安だなと思っているのですがと。
そこで、同じ学生さんでいらっしゃいます角野さんにまずお伺いしたいのですけれども、若い方にとって原子力というのはどんなイメージなのでしょうか。
そうですね。私は実は大学のときには文化系の学部におりまして、現在はどちらかというと理科系の学科になるのですが、やはり認識はそういう趣向、文系か理系かによっても多少異なってくるかと思います。ただ、全体的なイメージとしていえることは、やはり現在の電力の3分の1をまかなってもらっているんだし、今、30%なり40%なり電力の消費を削減しろといわれてもできないわけですから、今は容認せざるをえない。でも、将来的にはやはり原子力はいろいろな弊害を伴うという意味から、避けていく方向性に進むべきではないかという考えを持っている方が非常に多いです。(小沢)
角野さんご自身はどうですか。(角野)
はい。私自身としましても、確かに温暖化という側面一つをとりますと、原子力というものはCO2の発生量が少ないということがありますけれども、もし事故が起こった場合の、もしものときのリスクがあまりにも大きいというイメージが私の中にはあります。しかも、現世代だけではなく、1万年先のレベルにまでゴミなり何かを委託しなければいけないわけです。私の世代だけでなく、将来世代にまで背負ってもらうことに抵抗があるので、私自身としては、現時点ではやむをえないと思いますけれども、今後は廃棄物の削減、高レベル放射性廃棄物をもう少し放射性物質が出ないような、放射能汚染の影響が出ないようなかたちにするなり、そういう方向性に技術をもう少し傾けていくか、それとも違ったかたちでのエネルギー政策を考えていったほうがいいのではないかと考えています。(小沢)
そうすると、処分地などが自分のところへ来そうだというと、賛成できないという住民の気持ちは、わりとよく理解できるとお思いになりますか。(角野)
そうですね。実際に私がこのシンポジウムに出させてもらうにあたりまして、身近な友達に、「もし自分の家の裏に公園があって、そこにある日、ドラム缶を担いだおじさんがやってきて、『このドラム缶を埋めてもいいですか』と聞かれて、よく見たらドクロマークが付いている。それはすごく高レベルの放射性廃棄物であるとしたら、あなたはOKしますか」と聞いてみたのですが、もちろん皆さんノーと言います。ただ、6割はノーです。けれども、4割の方は条件付きのノーで、その害がどの程度及ぶのかとか、そういった情報がもし適切に与えられたりといったプロセスを踏むことによって、自分は納得することができると思うという方も4割くらいおられました。でも、それ以前に、原子力というものに対してのそもそものアレルギー的な症状から、どういう説明があっても嫌だという方も現実にはいるということは感じました。(小沢)
はい、ありがとうございます。(神田)
神田先生、いかがですか。お膝元の学生さんが。
そうですね。角野さんは私の教え子の一人なのですけれども。先程、後継者の問題という話がありましたので少し説明しますと、私も実は大学は文系で、国際法を学部で勉強しました。大学院に入るときに物理を勉強して物理科に入って、のちに原子核工学科に入ってというふうにいろいろ分野をわたり歩いておりますので、後継者というのは、やる気になればいつでもすぐにできると。法律から原子核工学を勉強するのもそんなに時間はかかりませんでしたし。(小沢)
ええっ? そんなに簡単なんですか(笑)。(神田)
ええ、あまり難しくないです。法律よりはやさしい感じを受けましたから。(小沢)
本当に必要な状態になってくれば、人材というのはたちまち育つのであって、例えば金属をしていた人とか、あるいは電気をしていた人でも、その気になって原子力を勉強しようと思えば割合短時間にできる種類の学問だと思います。ですから、基礎的なものの考え方があれば後継者は育つ。ただ、「あなたは原子核工学科で原子力だけやりなさいよ」と枠を決められた人のほうが、より責任があるというか、そこから逃れられないという気持ちがあるかもしれませんけれども、必要な人材が育つのに、原子核工学科だけがその基盤になっているものではない。現実に、今、電力会社で働いている、一線に立っている人たちが原子核工学科をどれだけ出ているかというと本当にわずかでして、電気や機械、土木を出て、のちに物理を勉強して原子核ができるようになったという人たちが、実はたくさんいるわけです。ですから、必要であれば人材は育つ。ですから、人材が育っていないということをそんなに心配することはないのではないかと思っています。
そうすると、先生ふうに言うとこういうことですか。今、育っていないのは、必要がないからだと。(神田)
今は就職が悪い。ただ就職だと思うのです。今はエネルギーのほうには学生がたくさん集まってきます。優秀なのがすごく集まるのはなぜかというと、就職が有利なので、原子核工学に行くよりはエネルギーに行ったほうがいいのではないかと思っている人がいるのですが、まあ心配ないと思います。(小沢)
そうですか。(下平尾)
どういうことでしょう。下平尾さんに伺いたいのですが、福島原発がありますよね。住民理解といって、住民との話をいろいろしていらっしゃるようですが、住民というのは、この問題について、やはりことさら理解をしたがらないものなのですか。
住民理解の前提として、電気・電力の供給地の感情があります。福島県は1年間に900億kw/hの電気を東京に供給しています。金額でいうと1兆6000〜7000億円になります。東京電力の3分の1を占めています。それは水力、火力、原子力を合計したものですが、原子力発電所でいうと、第一原発が6基、トータルでいうと460万kwの最大能力があるわけです。第二原発が4基で440万kw、合計しますと、福島県に900万kwあるわけです。(小沢)
高レベル廃棄物は、10基で約250トン出しているのです。ガラスで固定したもの(ガラス固化体)でいうと、1年間に250本(1本500kg)たまってくるという状況なのです。そうすると、福島県民としては、沢山の電力を関東方面に提供しているのに廃棄物は地元にどんどん増えている。廃棄物のあり方を考えていかないと、原子力発電所の増設も非常に難しいことになります。しかし、東京の電力の3分の1は福島県から出しているのに、廃棄物処理を国全体として本気になって考えてもらっているとか、地域振興施策が長期に保証されるのか、地域としてはやはりこのままいかざるをえないのか、あるいは東京でも原子力発電所の立地を考えていただくのかということになる。高レベル廃棄物の加工を英仏に委託していますが、1年間に、日本に198本処理したもの(ガラス固化体)を持って帰ってくるのですが、東京電力は柏崎分を含めてそのうちの60本あります。高レベルの廃棄物だけでなく、福島県の場合、10基のうち6基は20年以上経過していますから、40年使うか、50年使うか、いずれにしろ廃炉の問題も考えなければならないし、それから、今までに累積されている低レベルまで含めますと、ドラム缶でいうとびっくりするぐらい置いてあるわけです。だから、地元の人としては、こういう状況について、国なり電力会社がどうするのかという非常にシビアな、きわめて厳しい選択が迫られていると思うのです。
そういう中で、原子力工学を本格的に研究していただく方がどうしても必要になってきているわけです。しかし、今は時代のすう勢として、基礎理論や歴史、学説というのは嫌がって、就職にいいとか、あるいは実学傾向が強い。国も産学協同でベンチャー、ベンチャーと言っていますから、そちらのほうへ行ってしまうわけですが、今までの既存の産業について本格的な研究、人材育成をおろそかにしていきますと、私は大変深刻な事態になると思います。だから、神田先生と違って、私は非常に厳しい状況として受け止めています。今日の大学のあり方についての検討も経済効果主義が支配しており納得できないことが多いです。さらに、地域においては、立地上の歴史的経緯と課題がありますから、その上に立脚してエネルギーの問題を考えていかないと、ただ高レベルの問題だけだとかというふうにはいかないと私は思います。
社会的受容性というと、こういう高レベルの問題、あるいは原子力の問題を考えるときには、必ず地域が受け入れるか受け入れないかとか、立地の話にいってしまうのですけれども、この学生さんの書いてくださったものや、角野さんのお話などを聞いていると、やはり若い人たちが自分たちの将来とどういうふうに結びつけているかというのは、とても大きなバロメーターだろうと思うのです。(下平尾)
神田先生はいつも楽天的でいらっしゃるから、「いやあ必要があれば」とおっしゃるけれども、やはり今の下平尾さんのお話などを聞くと、福島大学では学生はたくさん勉強しているのですか。
うちは厳しいですからね。経済学部では進級バーがあり、当初は2年から3年へ進級できない学生が4割近くいたことがあります。徹底的に落としたことがあります。教務委員をしていた時に、朝日新聞の記者が来て、「どうしてそんなに落とすのか」と言うから、「いや、落とすんじゃなくて落ちるんだ」と。それで「ヤマをかけてくるか」というから、「いや、ヤマ(山)じゃなくて島をかけてくる」と。採点をあまり厳しくすると学生も大変で進級だけ考えて単位をとるし、親の負担も大きくなる。教師の指導方法や内容も問題となる。それでも2〜3割ぐらいは2年から3年へ進級できないようになっています。原子力についていいますと、福島大学には自然系学部がありません。原子工学およびそれに関連する研究者は一人もいませんから、勉強したくてもできません。(小沢)
やはり原子力はやりたくないんですかね。(下平尾)
イメージが悪いんですよね。(角野)
そうですね。(小沢)
このイメージが悪いというのは、実は大変なことなんですよね。 竹内さん、後継者はどうでしょうね。イメージが悪いといわれていますけれど。(竹内)
放射能というのは目に見えない、しかも、どういう影響があるのかわからないという点が、社会の不安感を煽るのだと思います。そういう不安感を除くには、着実なご説明をしなければならないと同時に、実際にいろいろなものを見ていただく、例えば、原子力発電所を見ていただくだとか、それから廃棄物でしたら青森県にあるものを見ていただくとか、やはり実感しないと人間というのは安心を持てないと思います。また、その説明をしている人が安心できる方でないと、先程のお話にもありましたように耳に入らないと思いますので、そういう信頼感をつくるということも非常に大事だと思っております。長い目で教育も含めてやっていかなければいけないと考えています。(小沢)
神田先生、どうなんですか。原子力は昔は夢だったと思うのですが。(神田)
そうですね。私が文系から理系に移った一番の理由は、煽り立てられるように、これからは原子力の時代だと。それで原子力をやるにはどうするかというと、どうも物理に入ってから行ったほうがいいというので、一生懸命物理を勉強して物理の大学院に入って、それから原子核工学科に行ったわけです。私は大学を昭和36年(1961年)卒業ですが、確かにそのころは、特に朝日新聞などは、一面トップに、「これからは原子力の時代だ」と書きまくっていました。ですから、法律を専攻している学生まで原子力をやってみようと思って勉強し換えるぐらい勢いがあった時代だったと思います。(小沢)
それがあるときから放射線というのが非常に悪いイメージになってしまったのですが、実際は放射線というのはそんなに悪くないのです。私は去年の10月までガンの国際中性子捕捉療法学会の会長をしておりまして、私自身も患者を200人ほど治療してきているのですが、放射線が非常に有効に働く場合は、許容量を被ばくしたとかいう量に比べて、3けた〜4けたくらい多いのです。要するに、今でも私の身体からは毎秒7000〜8000個くらい放射線が出ている。われわれは放射線となじんできているのに、原子力から出た放射線といったとたんにすごく悪いようなイメージになるのです。それから、いわゆるJCOの事故で被ばく者が何百人といわれていますが、あれぐらいの被ばくは、ちょっと飛行機に乗れば十分当たる量なわけです。ですから、いつの間にか原子力の放射線だけが悪いイメージで、それ以外の放射線はあまり怖くないと、放射線に対するイメージというのが原子力に対するイメージにつながっていった。
日本人というのは、世界的に比べるとはるかによけい放射線を浴びている民族です。というのは、医学の中に放射線の診断技術が日本は大変発達しましたので、実際に、今、われわれが被ばくしている割合は、天然よりもはるかに医療用に当たっている被ばくのほうが多いわけですが、そういうのは先程、中村さんもおっしゃっていたけれど、わかるものとわからないもので、こちらはより怖く感じるという話をされましたが、医療で当たっている放射線はあまり怖くない、同じ当たっても、その100分の1当たっても、原子力で当たったというと、これは怖い放射線に当たったと思うということがあると思います。
ですから、全体として原子力のイメージが、昭和36年ごろに夢のエネルギーというのに煽られてわれわれは原子力を始めたわけですけれども、そういう時代に比べると、逆に宣伝がいきすぎているのではないかという感じを受けます。
徳山先生、地層処分のことが当然今日も問題になるわけですが、わりと地層学というのは地味だとおっしゃっていましたが、それが今はもう高レベル放射性廃棄物とは切っても切れない学問分野になっています。(徳山)
ずっと関係していらっしゃって、社会的受容性や、神田さんがおっしゃった放射線を特別怖がってるというような、そういうふうなものの何か変遷というか変化というか、流れとかというのがありますか。悪くなっているとか。
そうですね。この地層処分の不安の問題は、先程、中村さんがいわれた、地層というものが完全にブラックボックスになっているために、地下にそんなものを置いて大丈夫かというような不安感があるのだろうということはまちがいありません。(小沢)
これはヨーロッパやいろいろな国などでも、地下の深地層研究所又は岩盤研究所(フェルスラボア)があって、それらをいろいろな人たちが見に行って、「ああなるほど、こういう所なら置いてもいいんだな」と、要するに自分のイメージ、先程、竹内さんが言われていましたが、自分の感覚で実際に体験してみることが大事かなと思います。
今、小沢さんがおっしゃったように、日本では残念ながら地質の知識が非常に普及していないのですが、例えばヨーロッパなどへ行くとすぐ身の回りでちょんとたたくと化石が出てきたりします。日本には化石があまりないものですから、近頃は特に化石を採るのが大変になって、そういうことで恐竜が出てくると大騒ぎになりますが、そういうような身近に化石を採ってきて子どものころ化石を見ているとか、そういう感覚がないから、ある意味では岩石などは縁が遠いものだという意識なのではないでしょうか。
なるほどね。でも、処分地という問題になって、例えば地層処分をどうするというと、やはり地質学の方が活躍なさるわけですよね。(徳山)
はい、そのはずですね。それが本職ですので。(小沢)
これまでやってきた話は、日本全国の全体の中で、例えば断層がどういうふうにあるとか、火山がどういうふうにということでした。これに対して、これから先程竹内さんがいわれた概要調査地区というものを選ぶ、そのときになったら、今度はその場所の立場で具体的に考えていくわけです。ですから、そういう意味でもう少し地域の具体性が出てきますので、そうすればここの場所での安全性という事ですから、話はある意味ではわかりやすくなっていくと思います。
なるほど。(角野)
角野さん、若い人たちとお話ししても、まあ滅多に原子力の話などはなさらないのだと思いますが、エネルギーをおやりになっていて、原子力の話などを、このシンポジウムがきっかけということではなくて、話に出ることはあるのですか。
まずないですね。家庭を持てば最近の電気代がどうこうという話から発展するのかもしれませんが、日常の話題ではまずないです。(小沢)
では、エネルギーを専攻しようとお選びになったときに、角野さんにとっての原子力というのは、あまり興味のないものでしたか。(角野)
いえ。知らないものだけに興味がある分野でしたね。今まで知っている範囲の、政府の資料とか、そういった部分で知ることはできますけれども、実際にそこに関わっておられる現場の方にお話を聞けるという意味で、すごく私自身は興味を持ったのですけれども、もともといた文化系の大学のほとんどの人は、なぜそういう分野にいくのか、すごく疑問に思われて、「べつにわざわざそんなことを研究しなくても」というような。それでも皆さん、環境問題や国際関係問題には興味を持っておられる方が多いのですが、その一つのファクターとしてのエネルギーの受容度というのは、やはり低いのではないかというのが実感でした。(小沢)
中村さん、啓蒙する、お話しする側ではなくて、パートナーとしてと言ったときというのは、例えば何がどう具体的に変わるんでしょうね。(中村)
あれは僕の意見ではなくて、他人の言葉を引用したのですけれども、やはり同じ地平に立ってものを考えるということだと思うのです。先程言った、「知識の共有から認識の共有へ」というのは僕の言葉なのですが、パートナーというのは私の言葉ではない、お借りした言葉ではありますが、その認識の共有へいくためには、やはり同じ地平に立つということだと思うのです。 そうしますと、これから原環機構が具体的にどうするかということには非常に興味を持つわけですけれども、先程のタイムスケジュールで言うと、平成14年度以降の活動のところだと思うのです。つまり、どこに決まるかはまだまだわからないけれども、候補地をいろいろ調査していく、そのプロセスの段階で、これは先程のリスク認知でいうと、自発性というものが優先されるわけですから挙手してくださいというやり方ですよね、公募方式ですから。例えばそこの首長さんは手を挙げたいと、その思惑はお金がほしいからとか、過疎を何とかしたいからとかいろいろあるかもしれませんが、そこの住民の方が、そのプロセスの段階から一緒に考えられる、イエスと言うかノーと言うかは全然別ですけれども、例えば具体的に原環機構と膝を突き合わせてお話をする。それは単に処分地をもってくる、もってこないという話プラス、その背景の、では原子力発電の未来ってどうなるの、日本のエネルギー政策ってどうなるのというところまで踏み込んで話し合いができれば、僕は同じ地平に立てると思うので、それが共通認識を持つ道だと思うのです。 それができなければやはりだめで、今までの日本の原子力政策というのは、そこのところにちょっと違ったところがあったのではないか、ちょっとずれがあったままいくと、ずれはどんどん大きくなりますから、そこではないのかなという感じがしています。(小沢)
そのずれというのを、もう少し具体的に。(中村)
一番簡単な話は、確かに私たち一般市民は、技術について無知な部分が多いですよね。でも、「安全だ、安全だ、安全だ。信じなさい、安全だ」と押しつけられたら、やはり反発したくなりますよね。その安全だというのも、どこまでみんなが情報を共有して安全だということを伝えてもらったのかという認識の違いがやはり出てくると思うのです。(小沢)
そうすると、そもそものスタートに相当大きな問題があったと。(中村)
いや、スタートは、神田先生がいわれたように、夢のエネルギーだったのです。それとアメリカとの関係があって、日本に原子力発電が認められた、それからサイクルシステムというのも認められたというのは非常に希有な例で、世界的にもなぜ日本に認められたかということが、今も若干問題になりつつあるのですが、かつては夢のエネルギーだったのです。未来を支える原子力だったのです。(小沢)
私も、もともと国際法などをやっていて、科学技術については大学を卒業してから入っていった人間なので、あまり細かい経緯は知らないのですが、直感的に感じるのは、やはり70年代のオイルショックが2回続いたときに行われた、日本のエネルギー政策の大転換がやはり契機かなと。結果的には、現在、石油の依存度が全体で見ても5割近くにまで減って、原子力が電力のほぼ3分の1を支えているわけで、政策的には成功したのですが、そのプロセス、エネルギー政策の転換を急ぎすぎたのではないか、焦りすぎたのではないかと僕は思っているのです。それで共通の地平をもてずに、共通認識に至らずにきてしまった。
ですから、ぜひ最終処分については、その轍を踏まないようにというのが私の期待です。
処分地選定のプロセスと今おっしゃっていましたが、私は全く門外漢ですが、私もやはり「鉄腕アトム」のころから夢、空飛ぶ見えない飛行機だとか、子どものころ読んだSFも、全部あれは原子力だったはずなので、すごく夢を持っていたのです。(下平尾)
でも何か違うとなって、大きな反対運動がありましたよね。だけど、あの反対運動が、今は一時ほど大きく目立っているわけではないと思うのです。だけれども、何かひたひたと団体が反対しているというよりも、津々浦々でその手のものがもうこれ以上来られては困るというふうになっていった。この経過が大きな問題だろうと思うのですが、これなどはどう考えればいいのでしょうか、下平尾さん。
利便性とリスクの選択の問題があります。自動車を例にとりますと、自動車の利便性ということと、交通事故や大気汚染、騒音など、自動車のマイナス面がたくさんあります。だから自動車の利便性を選ぶのか、もう1つのマイナスのほうを選ぶかという判断をしているのだと思うのです。航空機も同じように、落ちたら皆死ぬかもしれない。しかし、その利便性を選択している。エネルギーも、プラスとマイナスの評価のその選択のうえに成り立っていると思うのですが、ただ、エネルギーの場合は、自動車や航空機と異なって地域との関わりがあるのです。だから、国や電力会社としては電源立地を進めて電力の安定供給を実現していかねばならないという、全国民的といいますか、国家としての要請というものがあります。地域としては住みやすくて、便利で、快適で、活力のある地域をつくっていくという、地域振興という目的を達成するための一つの有力な手段として、電源立地に協力していこうということです。地域で考えている目的と、国のほうで考えている目的との一定の均衡のうえで進んできたのだと思うのです。今までの電源立地の政策というのは、どちらかというと電源立地を進めるという政策が重視されたと思うのです。地域振興のほうは金をやっておけばいいという発想できたわけですが、地域のほうは金で考えているのではなく、最初は雇用問題、所得を考えたと思うのです。(小沢)
今は高等教育の問題が非常に深刻なのです。発電所ができ雇用機会が増えたので、家族みんなで働いて収入が増えたので、大学・短大・専門学校への進学率は著しく向上したが、地元には高等教育機関がないので、子どもは進学のために東京の大学に出してしまう。若い人が出て行って帰ってこない。そうすると、その地域で労働力なり青年の再生産をどうしていくかが非常に重要な課題になっているわけです。ところが、文部科学省は、18歳人口が減ってくるから大都会に大学を集中合併して経済効率を重視しています。教育学部なども1つの県に1つの教育学部をつくる必要はないというふうに言い出しています。人材についてはどんどんと大都市に集めていって、原子力発電所等の施設は地方だというのでは地域の住民としては納得できないと思います。地方の受け止め方は、電源立地はわが国のエネルギー供給全体から見て協力していこう。しかし、原子力発電所の立地は感情としてはマイナスの遺産になっているのです。だから、このマイナスの遺産というものを克服していかなければ、立地は非常に難しいと思うのです。
そこで、電源三法交付金をはじめ支援ができたのですが、ただ、今度のプルサーマルの問題も、そして廃棄物の処理も、財政支出の理由がはっきりしていない。受け入れる側の経済的なメリットは少ない問題があります。原子力発電所であれば、固定資産税は入ってくる、電源三法交付金が入ってくるというように、かなりの経済的メリットがあるのですが、土の中に埋めてしまったものについて固定資産税を取るといっても、300m下のほうから固定資産税という理論など成り立ちませんし、それから、プルサーマルをしても経済的メリットがほとんどないのです。だから、地域振興をどうするかということを第一義的に考えて問題を提起していかないと、国家としての非常に重要な問題であっても、地域振興のメリットがないと受け入れていくことが難しいです。
だから、先程のイメージや夢の問題以上に、実際に昭和40年代から始まった電源立地をよく見ると、当初掲げていた地域振興から、かなりずれているではないかと思います。とりわけ立地して20年過ぎると、本当に地域が荒廃してくるのです。そういう状況を踏まえて、地域のあり方を恒久的に、しかも広域的に、総合的な政策をどうしていくか、人材の定義と育成の問題もあります。
今の地方分権は、嫌な仕事、困ったものは地方にやって、金はやらない、人はやらない、情報をやらないということになりかねない。田舎の人は中央から提起された地方分権をこのように考えています。
そうですか。私はすごくたくさんお金をばらまいているのではないか、これ以上、「ただ埋めるだけなのに、またお金を取るの?」という気がしてしまいますが。(下平尾)
いや、だけどね、福島県は大体900億kw/hの電気を出しているのですよ。それなのに東北電力と東京電力を比べると、今は差は縮まりましたが、1kwhにつき1円差があった時期があります。東北電力のほうが1円高いのです。そしたら、電気を生産している地域は、新潟もそうですが、東京電力のエリアの人たちに比べて、毎日、毎日、1kwh1円高い電気を使っているわけです。郵便物のように全国一律料金でみますと、年間に900億円差が出るのです。ですから、地方としては、やはり郵便料金と同じにしてほしいという感情が、ずっと潜在的にあるわけです。そういうことを東京の人は全然感じていませんしね。(小沢)
それから、共生といったときに、電力会社と地域との共生はかなりすすんではいますが、消費地と電源地域との共生をどう図っていくかというところが欠落していると思います。実際には、電気を供給し苦労している地域よりも消費地で原子力発電所の立地に反対運動が起きているのです。ところが、安全性のPRは電源地域にばかりしているのです。消費地の女性が一番反対運動をしているのです。だからそこのところの矛盾も考えていかないと、今までのようなかたちのエネルギー政策は、私はやはり難しいと思います。
竹内さんどうですか、今の話は。今後また土地を選んでいくわけですが。(竹内)
はい。地域との共生という点では、実際に地域の一員として考えなければいけないと思っています。地域で自主的に自分の地域をどうしていきたいかというビジョンを作っていただいて、それを私どもはどういうかたちで支援できるかを考えなければいけないと思います。(小沢)
従来の電源立地は、どちらかといえば立地面に重点があったと思います。私どもの事業は、非常に長い、操業期間だけでも100年になる。しかも、例えばモニタリングを300年するとしますと、400年間そこに存在するわけです。したがいまして、従来と全く違った共生の姿勢をとる必要があると思っておりますので、完全に地域の一員にならないと、これはとてもできないと思います。
当初は、今の制度であります電源三法の初期対策交付金等、まだ地域が特定されないということから、そういうものが活用できると思いますが、もう少し具体的に地域が絞られてきた段階では、もっと抜本的なことも考えていかなければいけないと思っております。
そうすると、だれも人が寄りつかないところに埋めておくというのではなくて、見に行ったりいろいろするのですか。そういう意見が結構あるのです。「臭いものにふた式の地下埋設処分は絶対反対だ」「海水温度差発電も実用化の段階に達している現在、高レベル放射性廃棄物の高温を資源として利用しながら管理をし続けるほうが現実的で安全ではないか」というマエダさんのご意見などもありますし、それから、「高レベル廃棄物は、当面ガラス固化体として貯蔵して、安全に地中処分ができるという理解はあるけれども、将来、長い半減期の核種を何とか消滅させていくような技術ができるのではないか、これについての見通しはどうだろう」というのがいくつか。そんな意見が出ています。(竹内)
いろいろな議論がありますよね。「完全に地面に埋めてしまって、メンテナンスをしなくてもいいほど安全なものにしなければいけないんだ」という説と、それから、「いや、それはちょっと見に行くようなことをしないとやっぱり危ないだろう」と。今の竹内さんの、一度埋めて長いことそこに置くのなら共生も長くなるという意味は、放置しないということですか。想定しているのは埋めっぱなしにしないというものなのですか。
モニタリングをある程度考えるということは、原子力安全委員会のほうから提言されています。地層処分というのは、技術的にはベストな選択だということは、国際的にはほとんど合意されていると思うのですが、先程から話が出ておりますように、技術的な安全性ということと、社会的な安心感との間には、かなりギャップがあることも事実だと思います。むしろ、高レベル処分というのは、技術的問題よりも社会的問題だと思っています。(小沢)
その点で、原子力安全委員である東大の鈴木篤之先生が、非常に含蓄のあることを言っておられます。それは透明性・柔軟性・可逆性という3つのキーワードです。透明性というのは、できるだけオープンな手続きを、予め予見可能なかたちで皆さんに提示していくことだと思っています。それから、柔軟性というのは、こういう場を通じて地域の方々のいろんなご意見を聞きながら、それを謙虚に取り入れていく、謙虚に聞く姿勢だと思っています。それから、最後の可逆性については、何かあったらどうするんだということについて、安心できるような担保が必要だということです。その一つのやり方として、今おっしゃったようなモニタリングということも出てきますし、それから、外国でも検討されていますが回収可能性、何かあったらもう一度回収してちゃんとしますと、これは技術的には全く必要ないということは国際原子力機関(IAEA)でも言っているのですが、社会的な安心感を得るためにはそういうことも考えられるということは認めています。
こういった問題をどうするかについては、今後、原子力安全委員会で基本的な考え方が出されると思いますので、私どもはそれに沿って、安心をもっていただけるようないろいろなことを考えていかなければいけないと思っている次第です。
今日は時間がかなり押しているのですが、そろそろ会場の方のご意見も伺わなければいけません。大きなテーマを立てているわりには、1つのテーマについて1人2〜3分話すとパネリストで全部時間が終わってしまうぐらいの配分になっているのです。時間が少なくて申し訳ないのですが、会場の方のご発言をそろそろいただかないと、何も言わないで終わってしまったとなるのですが、どなたかご意見ございますか。今の議論に加わっていただく意味で。なし。ではもう少し・・・。(開場からのご発言者A)
あ、はい、どうぞ。
京都大学で角野さんと同じ研究室の博士課程におりますオオニシと申します。 今、共通認識という話が出たのですが、共通認識という意味で、私自身で一番思うのは、イメージづけです。エネルギー教育であるとか原子力教育であるとか、そういった教育の段階というのがすごく重要だと思うのです。(徳山)
先程、小沢さんが「鉄腕アトム」の話をされていましたが、原子力というもので特に空想科学のアニメなどは、アトムにしてもドラえもんにしても、原子力で動いているのです。しかし、その辺のイメージというのは全然頭につかなくて、「ゴジラ」の放射能や「宇宙戦艦ヤマト」が放射能を除去するものを取りに行くというような、そういう悪いイメージだけ残っているのです。
そういった認識や、とりあえずマイナスのイメージというものを取り去らないと。特に小さい子どもは、空想科学のアニメや特撮ヒーローものなどでいろいろな知識を入れていると思うので、そういうところでイグアナがゴジラのような巨大な怪物になったりすれば、特に放射能というものに対して、避けなければならないからどうのこうのとか、とりあえず何かとんでもないことをするのではないかというイメージが強くなると思うのです。先程、竹内さんが、「どういう影響を与えるかわからない」ということをおっしゃっていましたが、そうではなくて、「何かとんでもないことをする」というイメージになると思うのです。そこで、エネルギー教育や原子力教育を、特に小さい世代に教えるということについて、何か意見があれば教えていただきたいのですが。
今おっしゃったとおりだと思います。実は私も文部省の時代からずっと教育に携わっていましたので、エネルギー教育や環境教育を推進して来て、少しずつは入ってきています。今の教育のシステムでは、新しい教科を入れ込む余地が非常に少なくなっていて、時間割の標準時間がいっぱいになってしまって、それにまた新しい教科を入れるのかということになるわけです。それで今は、総合的な教育、総合的な取扱いということで、その中で環境の問題を教えることになっていて、その中にエネルギーの問題も入れていかなければいけないと考えています。(神田)
おっしゃるとおり、やはりきちんとした基礎的な知識を教えていかなくてはいけないと私も思っています。
放射能を使って電池が動くものに、例えば心臓のペースメーカーがあります。私の知人が先日、電池の交換に失敗してまだ入院しているのですが、電池を換えるということは日本でしかしていないのです。普通の国は皆プルトニウムを入れますから、プルトニウム電池を入れると一度ペースメーカーを入れれば死ぬまでどうということはないのです。日本ではプルトニウムが猛毒ということになっているし、プルトニウム電池を使うなんてとんでもない、身体の中に放射線が増えるではないかと、身体には全然放射能はないと思っている人からすれば、身体の中に放射能が出るものを入れていいのかという議論になるわけです。著しく放射線を出すものだと誤解されているということがあって、特に日本の場合誤解されている。(中村)
それから、教育ということを、先程おっしゃった総合的な学習の時間が認められることに来年度からなりますので、その準備段階で、中学校の先生方を中心とした団体がたくさんできておりまして、またそこで使ってもらう教科書を作るという団体が15ほどありまして、次々に教科書が出てきているのです。ところが、今回は文部省は検定ということをしないので、自主的にいろいろなテキストができて、どれを採用するかはその先生の自由度に任されているというかたちで動いています。
エネルギーをしたいという先生は相当数おられて、今、把握しているだけで3万人くらい、私が関与しているグループにいるのですが、そのぐらいの先生が総合的な学習の時間にはエネルギーと環境をしてみたいと言っておられますから、前よりはましになるかもしれないと思っております。
ただ、そこでやりたいエネルギーというのは、結局、再生可能エネルギーか何かばかりになって、最初の学生さんの質問ではないけれども、原子力工学の基礎はどこへ行くのですかという話になりかねないと、僕は思うのですが。(神田)
そうですね。私も中学校の先生に講演するために全国行脚をしているのですが、最初にいただく手紙には、やはり風力と太陽というものに関心が高いのです。しかし、私の講演が1時間あって、そのあと先生方が研究発表を続けてやると、太陽というのは意外とだめだということがわかりはじめるのです。ですから、発表をちゃんと聞いていると、まともにエネルギーを考えているということがわかります。(小沢)
例えば、太陽は、日本では環境にやさしいエネルギーのほうに入っているのです。ところが、アメリカでは環境に悪いエネルギーに入っているのです。石炭と太陽というのは一番悪い2大産業に入っている。この差はものすごく大きいと思います。アメリカの場合にはシリコンを作る場合に発生するエネルギーをトータルすると、寿命から考えると石炭に次いで悪くて、石油よりちょっと悪いくらいです。だから、石炭と石油の間に太陽エネルギーがきているのです。ところが、日本だけは原子力と太陽はいい勝負だというのは、日本の場合には、太陽電池はシリコンの副産物で作っていて、不良品を太陽電池に充てている。だから、今のまま太陽電池の需要が延びていきますと、まもなく日本でも、太陽電池は非常に環境に悪いものになると思われます。アメリカの場合には、わざわざ作っていますから、環境に悪いものになっているわけです。
そういう種類の研究を、中学校の先生もちゃんとしている。それはいいことだと思います。太陽、太陽と言っているけれども、アメリカではもう太陽光発電はやめて3年ほどたちますから、もうやっていないわけです。ですから、日本がアメリカを抜かしたといって大喜びしてますが、アメリカの2倍近く、世界一日本は太陽光をしていて、圧倒的な1位になってきたのですが、それはシリコン産業がたくさんあって、その副産物があったから伸びたのであって、太陽光を進めていくことは環境にやさしいと、もし考えるとしたら、それは地球全体からいくとだいぶんまちがっているのではないかと思います。
角野さん、そうなのですか。(角野)
詳しいことは私はわからないのですが、ライフサイクルで考える必要があると思います。例えば、電力をつくる発電装置をつくる過程でどれくらいエネルギーを消費したか。実際に発電をする過程で、CO2だけではなくてどれくらいの有害廃棄物なりを出していっているのか。それを処分する際にどれだけのエネルギーとコストがかかるのかとか、そういうすべての段階において考えた場合に、確かにCO2とか電力に限ればいろいろな見方ができると思うのですが、放射性物質というのは、ほかの発電とはまた種類の全然異なる有害廃棄物で、それをどういう尺度で測るか、そして事故の確率と掛け合わせるのかとか、どういう尺度で判断するかによっても変わってくると思います。(中村)
オオニシ君に返事をしなければと思うのですが、神田先生は非常に楽観的にというか、可能性のある先生たちも押さえていらっしゃるようで、それはそれで期待したいのですが、しかし、総合学習の時間だか何だか知りませんが、πをおよそ3で教えていいという理科教育だと、どこで何をやってもだめだと思うのです。(開場からのご発言者B)
ということは、学校教育というシステムの中で、エネルギーや環境のことを教えるというのは、たぶん無理だと思うのです。実は宇宙開発のこともほとんど教えていないのです。星座の見方は5年生で教えていますが、宇宙開発や惑星探査などということは全然教えていないのです。ということは、これからの日本は、学校教育というシステムだけではなく、オプションをどれくらい考えられるかにかかっているのではないかと思うのです。
家庭やコミュニティーがまず1つです。それともう1つは、修士課程や博士課程にいて勉強は忙しいだろうと思いますが、やはりあなたのような人たちが、「ようこそ先輩」ではないけれども、子どもたちにどれぐらい接することができるか。僕のようなジャーナリズムにいる人間も、どれだけ直接、メディアを通さないで子どもたちとそういう話ができるか、そういう場を作ることが、たぶん日本の、特に理科教育にとっては、これからますます重要になってくるのではないかと思うのです。 だから、もう学校というシステム、先生と生徒という関係だけで考えるのはやめたほうがいいというか、それにははっきり言って僕はほとんどもう望みを持っていないというのがお答えです。
私は全くの一市民ですが、話題を高レベルということに絞ってほしいと思います。教育とか、今の話題はまた別の機会にもっていっていただいて、高レベル放射性廃棄物ということに話題をもっていってほしいのです。(小沢)
下平尾先生が、消費地の女性が一番反対されているとおっしゃいましたが、私もそれはすごく思うのです。高レベル放射性廃棄物を少なくするためには、やはり今、一番安全だとされているプルサーマルが進められることが、まず第一だと思うのです。
それが住民投票によって結果として進められなかったのですが、その内容の票数として、反対する人は意外と少なかった。それに対する疑問を、消費地の女の人が結構持っているのです。それであれば、おそらく消費地の人がそうなのであれば、生産地の方たちがそれをどのようにして受け入れるのか、その感情処理をどうできるかということに疑問が出てくると思うのです。
当面の理解として、消費地の女性がどのようにしてそれを受け入れられるようにしていくか。先程の学生と教育というものがあるならば、まず一般消費地の女性に対する教育が大切ではないかと思っているのですが、それをどのように受け止めていらっしゃるでしょうか。
ちょっと待ってください。感情を受け入れる、その感情というのはどちらの感情ですか。反対のほうですか、賛成のほうですか。プルサーマルについての何を消費地が受け入れるのですか。(開場からのご発言者B)
住民投票がありましたね。その結果として進めることができなかったのですが、その票割ですよね。(小沢)
あまり多くなかった、接近していたという、それを消費地がどう受け止めるかですか。(下平尾)
消費地のほうのPRをもう少ししたらどうかということですよね。(中村)
結論はそうですよね。(小沢)
結論はそうなのですが、何を基本にするのかがよくわからなかったので。ごめんなさい、消費地にとにかくPRすればいいということですか。何をPRするのですか。(開場からのご発言者B)
消費地の方が理解がないのに・・・。(中村)
何となく不安というのが一番多いのが消費地ですよね。(開場からのご発言者B)
それをもし進められたとしても、受け入れた土地の人の感情処理をどれだけ理解してあげることができるかということなのです。話のしかたが下手でごめんなさい。(中村)
おっしゃることはわかりますよ。(下平尾)
生産地の方からすれば、こんなにいろいろ問題のあるものを引き受けて頑張っているのに、消費地の人の無責任な発言が非常に多い。一つは東京都の知事ですよね。東京都内に原子力発電所を1つ、2つ作ったらいいというのです。しかし、どういう調査をして、どこでどういう手順を経て作るのか、知事が発言する場合には、必ず客観的なデータに基づいて意見を述べるのが普通です。電源立地を推進するためには、岩盤の問題や、特に安全性の問題に限って、ここしかないという中で受け入れたわけです。たくさん原子力発電所の立地している地域からすれば、東京都知事の発言は本当に作るのか、作る気も全くないのにアドバルーンだけ上げるという無責任な発言は慎重性を欠き、不信感をつくり出しています。(小沢)
それから2番目は、20年ほど前ですが福島県の大熊町の当時の婦人部の会長さんが、東京のある有名な女性の方に講演をお願いした。そしたら、「大熊町というのはどこにあるのですか」と言われたので、「原子力発電所のあるところです」と言うと、「私は原子力発電所のあるところには講演に行かないことを主義にしている。だからそういうところへ私は行く気もないし、声をかけていただかないでほしい」と言われたというのです。
それから、敦賀の市長が言っていましたが、観光バスが来て、「ここは原子力発電所のあるところですから、皆さん方、窓を閉めてください」と言ったと。そういう状況について、地元の人は不満をどこへ言っていくかというと、言っていくところがないのです。私などはそれをじっと聞いているわけです。そして、「あまりそういうものは気にしなくていい」と言っているのですが。
そしてもう一つは、今のエネルギー政策全体そうですが、自動車や航空機などは、事故やトラブルが起こるという前提に成り立っているのです。ところが、原子力発電所は100%安全だという理論から組み立てられているのです。たしかに理論的・技術的にはそうです。しかし、実際に運転していくのには人間が関わっているので、何が起こるかわからないのです。100%安全ではなくて、やはり問題が起こりうるという前提から論理を組み立てていかないと、なかなか信用できないと思うのです。だから、その辺も都会の人が納得できないところだと思うのです。100%安全ということはないのではないかという考え方も、これからのエネルギー政策を考えていくときには必要なのではないかと思います。そうなれば、地方からすれば、海岸線にもう1つ避難道路も考えて道路を作ってほしいと。特に福島では国道6号の道路が混みますから、何かあれば逃げるに逃げられませんから、そうすると海岸線にもう1つ避難道路も考えた道路を造ってほしいという強い要望が出ていますが、これは費用対効果でだめだというのではなく、安全性確保上必要になってきます。
それから、敦賀〜舞鶴の小浜線ですが、今は電化されつつありますが、美浜町のように電源地域の鉄道が、今まで電化されていなかったのです。原子力発電所と交通政策をリンクさせる必要はありませんが、国家としては、大量の電力を提供しているその地域については電化くらいは考えていく必要があります。原子力発電所のある地域は、夜、暗いのです。電気が灯っていませんよ。大都会はあかあかとしていますが、原子力発電所があるところには、これだけ電気を出しているのに防犯灯がない。これもおかしい話なのですが、電源三法交付金は、街灯はいいけれども防犯灯はだめだというのです。防犯灯は対象には入っていないのです。そのようなところで非常に自分たちのところは暗い、大都会へ行くとあかあかしている。電源地域のJRの駅は水洗便所化されていないというところもあります。やはり消費地と供給地との間において、機会の不平等があると思うのです。地域の実情に即し、よく考えて進めていけば、もっと合意形成ができると思うのです。
エネルギーに関する問題の一番の難点は、安全性の問題です。安全性さえ解決すれば、電源立地は地域にメリットが大きい。そのうえに安心の問題があります。何年何月何日に放射能を浴びたかどうか、証明できないのです。そこが放射能の持つ特殊な要因だと思うのですが、そういう意味で、やはりもう少し生産地と消費地がともに助け合って、消費地もよくなり、供給地もよくなっていく、そういう意識改革と制度が必要だと思います。
そうですね。解体工事に関わっている人たちの被ばくというのは、どのように治療されているのだという意見も聞きますよね。(下平尾)
今の消費地対何とかというのは、やはり2つ考え方があるような気がするのです。今おっしゃたことはすごく大事なことだと思うのですが、また消費地から言うと、ときどき被害者対加害者みたいな感じで、常に「おかわいそうな人たちが受け入れさせられている」みたいに言うと、私の知り合いなどは、地元にいてすごく怒りますよね。「自分たちが選んだのだから、べつに同情してもらうことはない」と。何かその人たちの気持ちも、受け入れた人たちの気持ちもわかってあげなくちゃみたいなことを言われると、ものすごく腹が立つという意見もあるのですよ、一方ではね。
地元の人たちは安全だと思っているのです。アンケート調査をすると、てきめんに出ます。社会経済生産性本部等の各種の調査に共通しています。原子力発電所なりプルサーマルは安全かどうかというと、実際に原子力発電所が立地している地域の人たちの多くは安全だと思っているのです。安全性というのでは10〜20%高いプルサーマルも原子力発電所も原理は同じなのです。だから、原子力発電所が安全であればプルサーマルも安全だと思っている人の割合が高い。(小沢)
だから、福島県でいうと、地元は商工会も議会も農協団体も、2基増設だとか、プルサーマルを入れてくれと言っているのですが、知事は責任者として慎重に検討し、国や電力会社に本気になって地域の問題を考えてもらうまではというので抑えているようです。しかし、原理的にはプルサーマルも原子力発電所も同じで安全だと考えられますが、一度認めてしまうと、長期にわたって地域は発電所とつきあっていかねばなりませんから、立地地域は消費地や電気事業者や国との約束をきっちりしておかねばなりません。高レベルの廃棄物については、選択肢としては地下にもっていく以外にないだろうと考えられます。それがベストだとは言わないけれども、ベターとしてはやはり地下300mにもっていく以外には、ほかに考えられないので、そういう選択でいく以外にはないが、それにすぐOKを出してしまったのでは地域振興策との共生はできない。
取るものもとれないと。(下平尾)
今日の電源政策は立地の進展という立場に立っていますから、立地してしまえば、費用対効果でもって地域振興策は取り消されていきます。30年も前のことを言われてもわからないよということになると思うのです。だから、地域のあり方や地域政策がわが国のエネルギー政策の中にしっかりと盛り込んでおかないと、地域の人も安心できません。(中村)
小沢さんがいわれたのは、関西だと福井ですよね。福井の方もおっしゃいます。「そんなもの同情もしてほしくないし、ありがとうと言ってほしいわけでもない。私たちは私たちでこういう選択をしたんだから」と。関西で特に今のご質問にお答えすると、やはり消費地と生産地の接点を持つことだと思うのです。特に東京とか京阪神のような大消費地では。(小沢)
今、実は事業者である電力会社も、見学会のようなかたちで消費地の人を電源立地へ連れて行って交流させるということをしていますが、ボランティアでしている人たちもいるのです。大阪と神戸にもいらっしゃるのですが、福井へ行って、普通の市民の方が発電所を見学して、地元の方とお話ししてという、そういう交流を増やしていくことではないかと思うのです。
おっしゃられた住民投票の刈羽村というのも、実は小沢さんも行って刈羽村の方といろいろお話をしていらっしゃるようですが、そのときに、「すみませんね」と言って行くと、また反発があると思うのです。「そんなこと言われる覚えはない」というのもあるでしょうし、こっちとすれば「俺たちの税金を使って電気を作ってるんだろう」というのもあるから、それはやはり接点がないと、いつまでもそういうことでいってしまうのだと思うのです。ですから、交流の機会をどれくらい増やして、それでまさに共通認識なのですが、では日本のエネルギーはどうするのというようなこと、原子力発電はこれからどうなるのかということが、消費地と生産地のどちらからも一緒にものを考えられる場をつくることが大事なのではないかと思うのですが。
佐田さんという方が、この間どこかでお話をなさったときに、「推進の人たちは仕事で行く。仕事で行く人がいくら行っても、それはやはり無理だ。なぜか原子力推進派は常に仕事で行く。個人として行かない」と。それはまずいとはおっしゃらなかったけれど、そこに大きな問題点があるとおっしゃったのですが、私もそう思います。原子力関係で推進でというか、考えたほうがいいのではないかというと、必ずやはり仕事で行くんですよね。(下平尾)
仕事で行くので良い。仕事で行かないと成り立たないと思います。仕事で行ったときに誠実で熱意があれば、その人と仕事に信頼を置きます。仕事は仕事で行っても、誠実に、地域の状況についてもいろいろ考えてやっていただいている人が本当にたくさんいらっしゃると思うのです。しかし、そういう人は、電力会社でみんな出世が遅れていくのです。みんな総務のほうからばかり上がってしまって、本当に苦労している人が遅れてしまう、これは何とかならないかと思うのですが。なぜかというと、遠いところで仕事をやっているから見えないのです。(小沢)
本当にそうみたいですね。やはり結局最終的に組織の方向を向いてしまうから、裏切られたと地元は言うし。だから、先程の学生さんや角野さんのように、まだ就職を目の前にして変わってしまうかもしれませんが、ういういしい考え方の方が、いろんなところで議論をしていけばいいのかもしれないと思うのですが。(開場からのご発言者C)
ほかにまだご意見はありますか。
環境関係を考えておりますコカゴと申します。先程、中村先生がおっしゃった中に、いわゆるリスクに対する制御がいかに必要かということで、小沢先生もおっしゃいましたが、被ばくした方々の治癒の方法が確定していないから、被ばくしたらもう治らない、だめなんだと、必ず100%死ぬと。先だっての事故でも、不幸にして大内さんが亡くなられましたが、やはり何かもう少し、先生方も、治療に対することをもっとよく考えていただくと言いますか。今、原発に置いておられる無機のヨードは、効果があるのだけれど副作用が多くてあまり使えない。では、有機のヨードをもっと利用すればいいではないかとも思うのですが、一つ提案として、また質問として、治療を今後いかに考えていらっしゃるかということなのですが。(神田)
原子力安全委員会に防災部会というのがあって、そこでJCOのあと防災が一気に進みました。一つは法律を改正するということがあったのですが、今言った患者の救済部会というのができまして、それにはチェルノブイリやあるいは原爆実験があった何とかミンスクの周辺の人の治療にあたった人たちが入って、実際に被ばくしたときにどうするかという方針や、やっと日本でも、先程おっしゃった避難道を造れと、そういう今まで言ってはいけなかったことが考えられはじめて、いざ被ばくということが今までなかったわけですが、JCOの事故のあと、被ばく者が出た場合どうするかということがまじめに動きはじめて、かなり激しい勢いで、現在作業を続けています。(小沢)
それを受け入れる機関として、千葉にある放医研では、それまで3人しか受け入れられなかったのですが、もっと大量に受け入れられるにはどうするか、その援助医師たちをどういうネットワークで集めるかとか、そういうことが進みはじめています。それまでは、人間は失敗しないものだと考えて原子力が進められていたのですが、今は失敗した場合にはどうするかという前提のもとにバックアップ体制が進みはじめているわけです。
一つ、避難道でいきますと、道路を管理しているのは警察庁で、これは都道府県なのです。それから、人を誘導するのは消防庁の仕事で、これは市町村なのです。その対立が長い間あったのが、JCOの事故の前後から非常に融合しはじめて、一緒に原子力発電所の事故があった場合には、ともに市民を誘導して逃げるということが決まったので、ご存じのとおり、避難訓練があちこちで行われるようになりました。今週も防災訓練がありました。だから、JCOの事故は非常に悲しい事故でしたが、それを契機に、人間は失敗するものだという前提のもとに、法制度もそれから体制もできてきたという点では、亡くなられた方には申し訳ないけれども、非常にわが国に貢献されたと、極端に言うとそういう考えももてる、それくらい制度が変わってきているといえるわけです。
ただ、こんなにあちこちにあるのに、被ばくした場合、受け入れられるのは千葉の病院だけなのですか。(神田)
各大学に一時的に置く小規模の被ばくと、それからこの間のJCOの事故のような場合の、命にかかわるというような場合に置く場所とを区別しています。その治療ができる先生方の情報を交換するネットワークをどうつくるか。あるいは、そのノウハウをどう伝達するかというシステムが、悲しいかな今まではなかったのですが、やっとその作業が現在まだ進んでいる最中です。ここのところ非常な回数でやっています。(小沢)
なるほどね。広島などにはそのようなノウハウは随分あるのではないでしょうか。(開場からのご発言者D)
ほかに何かご意見ありますか、会場の方。はい、どうぞ。
本日は放射性の廃棄物の問題なので、もうすでに今あるゴミの話ですから、ちょっと違うかもしれないのですが、今現在の科学レベルで、そして使われる電力のことを考えれば、原子力の発電はしかたがないと思うのです。でも考えたら、これだけ財政が破綻している日本の国税を廃棄物にたくさん使わなければいけない、それから安全性の面も考えなければいけない、そういうことを考えたときに、将来は、やはり原子力発電はやめたほうがいいのではないかと思うのです。(小沢)
究極は自家発電だと思うのです。風力であれ太陽光であれ、先程、神田先生がアメリカの現状でシリコンの不良品を使ってやっているからというゴミのお話をしてくださいましたが、高レベルの放射性のゴミとシリコンのゴミとは違うと思うのです。科学ももっとこれから発達するでしょうし、人間の英知を信じたときに、もっと、今日はたまたまゴミの話ですけれども、発電はできるだけ放射能を出すものはやめてほしいと私は思うのですが。
今日の先生方は、皆さんどちらかというと角野さん以外は、放射性廃棄物のほうにすごく積極的な感じがしますので、私個人、主婦としては、原子力発電はやめていただきたいし、ゴミのことも、いくら地下に埋めたとしても、現在の科学レベルでするいろいろなコンクリートの強度だとかいろいろありますが、これが何十年先、何百年先にその強度が保てるかどうかわからない、それから地質も変わるかもしれないし、地殻も変わるかもしれない、ですから、どなたか先程陸上で管理するのがいいと書いていらっしゃいましたが、私もそう思います。
そうですね。(中村)
それは根本的に分かれるところなんですよね。(小沢)
では竹内さん、お話しくださいますか。(竹内)
高レベル放射性廃棄物の処分について、税金が使われるということは、私どもに関しては一切ございません。原子力発電を今後やめるかやめないかにかかわらず、すでに過去の発電によって14,400本分が発生していることも事実ですし、それをどういうふうに解決するかが私どもの世代の課題であると思います。今やめたからといって、ただちに必要性がなくなるというものではありません。(小沢)
例えば、ドイツでは原子力発電をやめることを合意をしており、30年かかってやめることにしています。日本で30年後にやめることになっても、発生する廃棄物は、今の計画の40,000本をはるかに超えるような数字になるわけで、その辺をどう考えていくか、いずれにしても高レベル廃棄物処分が必要であることには変わりないということを申し上げたいと思います。
ちょっと待ってください。お金がかからないというのは。(中村)
税金を取っているわけではないということです。(小沢)
地層処分や何かも、全部そのお金でできるのですか。(中村)
そうです。あの3兆円というのは、そのための費用ですから。(神田)
全部税金ではありません。(徳山)
今日の会では大変いろいろな意見が出て、私もよかったと思っているのですが、一つだけ申し上げたいのは、高レベル放射性廃棄物というのは、量が非常に少ないことです。確かに初めの1000年というのは放射能が非常に強く危険なものですけれども、それは非常に少ない量のものだから、それをみんなが知恵を出し合って処分しましょうという、それが今の問題なのです。(小沢)
どのくらいかと言いますと、先程もお話があったのですが、今、原子力発電で100万kw級のものを1年間運転しますと、約30トンの燃料を燃やすことになります。そうすると、資料にもありますが、全部再処理しますとガラス固化体というものにして30本。それはどのくらいかというと、1つのガラス固化体は直径40cmくらいで高さが1.3mくらいの円筒です。ですから、それが30本あっても5立方メートルです。わずかという言い方はいけないかもしれませんが。
それに対して、先程から話があったように、例えば石油火力の100万kw級の発電所では、大体1年間に140万トンくらいの石油を燃やすわけです。そうしますと、420万トンくらいの二酸化炭素になるわけですが、二酸化炭素を何トンと言ってもしかたがないので、それを体積に直すと約20億立方メートルになるのです。
こういうふうに、ものを考えるときに、一方は二酸化炭素というものは、出てしまったものを取り返してくることはできない。しかし、ともかく今のところは1965年以後、日本でやっている原子力発電で発生した高レベル放射性廃棄物をはじめ、放射性廃棄物は全部きちっと保管して管理してあります。現在全部がガラス固化体になっているわけではなくて、再処理にいっているものもありますが、でもきちんとした管理がしてあって、これだけは全く漏れていないのです。だから、これからみんなが知恵を出し合って、一番いい選択を考えましょう、それが一番大事なことかと思います。
絶対安全だというところから、それが漏れたではないかとか、ナトリウムでも何でもほら漏れた危ないというようになって、それでいろいろなずれができてきたことも事実だと思うのです。(中村)
ところが、今のお話を聞いていると、そうではないんだということを初めて認めることによって、例えば被ばくの対策もできれば、お金の分け方とか、地方の人たちとざっくばらんに話し合えることとか、そういうことができるので、そういう意味でいうと、原子力行政を転換していく、原子力を巡る動きが、もしいくらかずつでも変化できるとしたら、これは結構明るい分野かもしれませんよね。
大事なきっかけだと思いますね。この最終処分というのは。(小沢)
廃棄物の計量もちゃんとできますしね。それから、角野さんのような人たちが、このあと勉強する人がいないけれども、この問題はどうしたらいいかなどと考えてくれたりすれば、ちょっといくぶんか・・・。どうですか、下平尾さん。(下平尾)
最終処分場の計画は、現時点では理論的には最善のものです。ところが実際にはいろいろ起こってくるわけですから。だから問題が起こりうるという前提で考えたほうがいいですね。(小沢)
そうですね。それから、やはり放射能を浴びているのだからといっても、やはり被爆体験は日本にとって決定的ですからね。あの原爆の問題をもっとちゃんと話し合っていれば、原爆と原発は違うとなったのだけれど、あそこもあいまいにしましたからね。(開場からのご発言者E)
ちょっといろいろなつけがここに回ってきているのかもしれません。でも、今日のお話の中では、ちょっと何かできるかなと。
まだご発言ありますか。先程の方、どうぞ。
先程、会場から質問があった、原子力発電をやめるかやめないか。学生さん以外の人は全部推進派に回っているような感じを受けるとおっしゃったのですが、当面の課題として、電気というのは生産されなければいけないんですよね。だから、将来的に確かに危険な廃棄物を作らなくてすむような方向に持っていけるかもしれないし、また、それこそ100年単位で考えれば、高レベル廃棄物を出す必要性もなくなってくるかもしれない。だけど、今現在として、電気というものは作られなければいけない、生活できないということを考えれば、今、反対するとか、賛成するとかという問題ではなくて、必要なんですよね。その必要なものをどのようにして制御するかが、私たちの英知だと思うのです。(小沢)
ありがとうございました。(角野)
時間が来ましたので、そろそろ終わりにいたします。電気は必要だと、将来的にはと向こうの方もおっしゃっているし、今、初めて必要だと推進していてもあれだけいろいろな齟齬があったわけですから、それを皆で取り繕ったり変換しながらいくというのがこれからの道ではないかと思います。そのために役立てば、このシンポジウムもよかったのではないでしょうか。
特に、しつこいですが、角野さんのような若い方が出てくだされば。私は実は先程の男の方がおっしゃったよりも心配しているのです。将来、技術者はどうするんだろうと。神田先生のように明るくないのです。ですから、少しでも関心を持ってくださる若い方が出てくると、とてもありがたいと思っているので、今日は、角野さん、大丈夫でしたか。ご感想をどうぞ。
私は今日、興味を持っている人が少ないと言ったのですが、それはそもそも現在の原子力政策を自分たちが決めたわけではないということがあると思うのです。ですから、これからどのような政策をとっていくべきかを、若い世代も巻き込んで話し合っていくことによって、自分の問題として考えることができると思いますし、さらに解決しようという技術の面で頑張ろうと思う人も出てくると思うのです。(小沢)
わかりました。経済的にどうかとか、いろいろ今後、ご専門の分野から見ていってくださいね。これ一回でやめずに。
では、そんなところで今日は尻切れトンボみたいかもしれませんが、終わります。ありがとうございました。長時間おつきあいくださって感謝いたします。
5.閉会挨拶
(山形)小沢さん、どうもありがとうございました。会場で参加してくださいました皆様方、パネリストの皆様方、本当に今日は長い間ありがとうございました。(小沢)
次回のシンポジウムは、11月12日に埼玉県のさいたま市で行います。皆様方のお知り合いの方がおられましたら、お勧めくださるようお願いいたします。
これをもちまして、本日のシンポジウムは終了させていただきます。
お気をつけてお帰りください。ありがとうございました。
<以上>