第1節 国際エネルギー市場の構造変化

現在の国際エネルギー市場は、第二次世界大戦後大きな変化を経験してきました。この構造変化はその時々の市場のあり方によって大きく4つに分けられ、戦後から1960年代に至るまでを石油メジャーの時代、1970年代から1980年代前半に至るまでをOPECの時代、1980年代以降から1990年代に至るまでをマーケットの時代、そして2000年以降を構造変化の時代と分類することができます(第121-1-1)。

【第121-1-1】国際石油市場の構造変化

具体的な価格決定のメカニズムという観点では、OPECの時代までは特定のプレーヤーが価格を決定していましたが、1980年代以降は市場メカニズムが価格を決定する形態となっています。しかしながら、その時々の市場の構造によって、生産者、消費国それぞれの立場やお互いの関係は大きな変化を遂げてきました。本節では、石油市場に特に注目して、価格メカニズムや欧米石油会社(石油メジャー)やOPECなど主要プレーヤーの動向を中心に国際エネルギー市場の変遷を振り返ります。

1.石油メジャーの時代(~1960年代)

第2次世界大戦以降、1960年代に至るまでの国際石油市場は、石油メジャーと呼ばれる欧米石油企業によってコントロールされる時代が続きました。これらの石油メジャーは、石油の探鉱・開発から末端の製品販売に至るまで、世界的な規模で垂直統合を行っており、文字通り世界の石油市場を支配する存在でした。特に米国のエクソン、モービル、ソーカル(後にシェブロン)、テキサコ、ガルフ、英国のブリティッシュ・ペトロリアム(BP)、英国・オランダ系のロイヤル・ダッチ・シェルの7社は「セブン・シスターズ」と呼ばれ、国際石油市場において比類のない影響力を持っていました(第121-1-2)。

国際的に取引される原油価格もこれらの石油メジャーによって決定されており、そこでは「ガルフ・プラス方式」および「中東プラス方式」と呼ばれる価格決定方式が用いられていました。ガルフ・プラス方式とは米国メキシコ湾岸(ガルフ)での原油価格を元に輸送コストを反映させて世界各国に対する原油の販売価格を設定するという価格決定方式であり、中東プラス方式とは同様に中東での原油価格を指標にして世界各国への原油販売価格を決定するという方式です。石油メジャーはこのような世界で統一された価格体系に基づいて各国で生産される原油の価格付けを行い、消費国への供給を行っていました。
この石油メジャーが産油国に対して支払う税額の算定基準となる価格は公示価格と呼ばれていましたが、この公示価格はその時々の市況に応じて上述の価格決定方式に基づき石油メジャーが決定しており、産油国は価格決定プロセスにおける発言権を持っていませんでした。
これに対し、一方の産油国の間では、国の財政収支を大きく左右する原油の販売価格を石油メジャーが独占的に決定することに対して不満が高まっていました。この中で、1950年代後半にソ連からの大量の原油輸出に対抗するために石油メジャーが一方的に公示価格の水準を引き下げると、これに反発した産油国は1960年、石油輸出国機構(Organization of Petroleum Exporting Countries: OPEC)を設立し、公示価格を凍結しました ※1(第121-1-3)。

【第121-1-3】OPEC 創立総会の様子

※1: 設立当初の加盟国は、サウジアラビア、ベネズエラ、イラン、イラク、クウェートの5カ国でした。その後、1961 年にカタール、1962年にリビア、インドネシア、1967 年にUAE(当時はアブダビ)、1969 年にアルジェリア、1971 年にナイジェリア、2006 年にアンゴラが加盟し、現在は12カ国から構成されています。
しかしながら当時、中東を中心とする産油国においては、石油利権契約という契約形態に基づく石油部門の操業が行われており、その契約の下ではメジャーなどの石油会社が、公示価格に基づく所得税や利権料を産油国に支払うことによって、一切の制約を受けることなく石油の探鉱開発から生産された原油の処分に至るまで独占的な権利を有していました。このため、産油国は自国で販売可能な原油をもっておらず、この凍結された公示価格は産油国に対する石油収入の分配を決定するためにのみ用いられ、実勢の取引価格は引き続き石油メジャーが決定するという状態が続きました 。※2また、凍結された公示価格についても、これを産油国が主導権を持って変更するという段階にはまだ至っていませんでした。

※2: このため、実勢価格は公示価格よりも安価で取引されましたが、その差額は石油メジャーが負担する形となっていました。瀬木耿太郎、『石油を支配するもの』(岩波書店、1988 年)、p105.

2.OPECの時代

(1)OPECによる国際石油市場の支配

このように、結成直後のOPECは国際石油市場に対し大きな影響力を持つことができませんでした。これは利権契約の存在もさることながら、当時世界最大の産油国であった米国が豊富な余剰生産能力を有し、国際石油市場の需給バランスが逼迫した状況ではなかったことがその主な要因として指摘できます。
しかしながら、1960年代の後半に入り、年間で200万バレル/日を超える極めて高い需要の伸びが続くと(第121-2-1)、次第に国際石油市場における需給バランスも逼迫化するようになりました。このような需給の逼迫化を背景に、産油国の影響力は着実に強まっていき、1970年代に入ると、OPEC諸国は石油メジャーを始めとする外資企業と協定を結び、輸出原油価格の設定の確保や石油利権への事業参加(石油利権の部分的取得)を進めて行くようになりました 。※3
そして、1973年10月に第4次中東戦争が勃発し、サウジアラビア、クウェートなどアラブ産油国が対アラブ非友好国に対する石油禁輸を宣言するに至ると、産油国の石油会社に対する優位性はさらに高まることになります。この禁輸は、OPECのアラブ産油国が米国を始めとする先進諸国の対中東政策に異議を唱える目的で実施したものでしたが、結果として国際石油市場におけるOPEC優位の構造を決定付けたという点で、非常に大きな意味を持つ出来事でした。

※3: この時に産油国と石油会社との間で締結された協定としては、1971 年に産油国側が石油会社に原油輸出価格の引き上げを認めさせたテヘラン協定とトリポリ協定、また1972 年に産油国による石油利権への事業参加の道を開いたリヤド協定などがあります。

そして、禁輸措置による需給逼迫感の高まりを背景に、OPEC加盟の中東湾岸産油国は1973年12月、それまで凍結されてきた公示価格を130%引き上げることに成功しました。この公示価格の引き上げは、産油国側がメジャーに相談することなく一方的に実施され、それ以降、公示価格の引き上げに際して産油国がメジャーと協議行うことはありませんでした、この意味で産油国はメジャーから価格決定権を完全に奪取したといえます。
これに加えて、1973年以前より進められてきた産油国による石油利権への事業参加も加速することになりました(第121-2-2)。

【第121-2-2】1970年代におけるOPEC主要産油国の石油事業国有化の動き

1972年12月にサウジアラビアやアブダビ(UAE)など中東産油国と石油会社との間で締結されたリヤド協定においては、翌1973年より段階的に事業参加が進められることとなっていましたが、1974年クウェートは一気に60%の事業参加を行うことを宣言し、1975年には比率を100%にまで引き上げ国内石油利権を完全に国有化しました。この後、他の産油国もこのクウェートの動きに追随し、サウジアラビア、カタールなどにおいても国内の石油利権の完全国有化がなされました。

(2)メジャーの凋落

このような一連の動きによって、メジャーは価格決定権と石油利権の2つを産油国側に奪われこととなり、国際石油市場における主導権は完全に産油国側へ移ることとなりました。産油国におけるメジャーの役割も、石油の探鉱・開発から生産にいたるまで自らの思い通りに操業を行うことが出来た時代から、1970年代以降は単なる原油の購入者、ないしは産油国における操業が認められた場合においても、それまでの利権保有者というよりはむしろ作業請負人(コントラクター)に近い役割を果たす程度に止まっています。
このような各地で進められた国有化によって、石油メジャーの石油生産量は大幅な縮小を強いられました。(第121-2-3)は1970年以降のメジャーの石油生産量の推移を示したものですが、1975年には2462万バレル/日あったメジャーの生産量は、1980年には1111万バレル/日まで低減し、1970年代当初には約60%を占めていた市場シェアも1980年代半ばには15%程度まで急落しました(第121-2-3)。

こうした生産量の激減及び市場シェアの喪失は、それまで世界の石油市場に圧倒的な影響を及ぼしてきたメジャーのプレゼンスが大きく低下したことを何よりもよく物語っているといえるでしょう。
しかしながら、石油メジャーはその高い技術力や資本力、世界的な販売ネットワークにより、引き続き世界石油市場での影響力を維持していきます。例えば、自社のもつ高度な技術力を駆使することによって、石油メジャーはアラスカや北海などの石油生産量を積極的に進めました。OPEC産油国における権益を失ったこれらの石油メジャーは、かつてのような膨大な量の石油生産を行うことはできないものの、これらのOECD地域の油田開発に活路を見出したのでした。以下の(第121-2-4)に示す通り、石油メジャーの保有する埋蔵量のうち、米国や欧州における埋蔵量はかなり大きなシェアを占めています。

【第121-2-4】主要石油メジャーの石油・ガス埋蔵量分布(2005年末時点)

(3)OPEC非加盟諸国における石油生産の活発化

1970年代の原油価格の高騰によって、非OPECの産油国では国内の石油開発に弾みがつきました。これは、原油価格が上昇したことによって、それまで経済性の見合わなかった生産コストの高い非OPEC諸国の油田の開発・生産が可能となったためです。例えば、ソ連では1940年代から内陸部のボルガ・ウラル地域の油田開発が進められてきましたが、1970年代には巨大油田であるサモトロール油田を中心に西シベリア地域の油田開発が活発に進められたことによって、その石油生産量は飛躍的に増加しました。1987年にはピーク生産量の1,266万バレル/日の生産を行うなど、ソ連は1980年代を通してサウジアラビアや米国を抑え、文字通り世界最大の産油国であり続けました。
また、OECD地域においても新規油田からの生産が相次ぎました。米国の原油生産は1970年に1,130万バレル/日を記録しピークに達した後、速いペースでの減退が続きましたが、1970年代後半にアラスカでの巨大油田の生産が始まったことなどから、この減産傾向に歯止めがかかりました。欧州においても、1980年代に北海油田の開発が本格化しました。特に英国は1981年に石油の純輸出国に転じ、英国産ブレント原油の価格が欧州域内での指標価格として用いられるなど、北海の原油は1980年代以降の国際石油市場にも大きな影響を及ぼすことになります。
実際に、非OPEC諸国の石油生産量は75年から85年の10年間に約2,866万バレル/日から4,077万バレル/日へと実に1,200万バレル/日以上の高い伸びを示しました。その間、OPEC諸国の生産量は1,000万バレル/日以上減少しました。(第121-2-5)。

(4)省エネルギーと石油依存低減を進めた先進国

一方、消費国サイドの動きとしては、世界の石油の7割以上を消費していたOECD諸国において省エネルギーや石油代替エネルギーへのシフトが進められました。これは、第2次石油ショックが起こった1979年から1984年までの5年間で、OECD地域のGDPが11%拡大した一方で、一次エネルギー全体の消費量は3%減少し、特に石油についてはその消費量が16%も減少したという事実によく現れています 。※4
この背景には、まず原油価格の高騰によって末端の石油製品価格も上昇したために消費が抑制された(短期的な価格効果が働いた)という事実が指摘できますが、その他にも発電部門や産業部門における熱源用途を中心に石油から石炭・原子力・天然ガスなど他のエネルギーへの燃料転換が進んだという、より長期的な構造的要因も働いています(第121-2-6)。

実際に、OECD地域における発電量に占める石油のシェアは、1973年の25.3%から1980年には17.3%、1990年には9.2%へと低下しています 。※5

※4:International Energy Agency , Energy Balances of OECD Countries 2003-2004 (Paris: International Energy Agency, 2006).

※5:同上

〔1〕米国

1970年代に入り、石油をめぐって世界が激動する中で、当時世界有数の石油生産国であった米国も輸入石油に依存することの危険さを肌で感じることになり、そのエネルギー政策論議においても国内のエネルギー供給全般にかかわる包括的な視野が持ち込まれることとなりました。
このような政策展開を最初に始めたのが、第一次石油ショック時の政権であったニクソン政権でした。1974年、ニクソン政権は「Project Independent」と呼ばれる計画を発表しましたが、この計画には1980年代初めまでに米国内のエネルギー自給を達成することを主たる目標に置き、従来の石油製品輸入規制を撤廃し供給面での柔軟性を向上させること、また国内の鉱区開放を進めることで国内石油生産の拡充を図ること、さらに石油備蓄制度の創設や、代替エネルギー資源の研究開発の奨励など、様々な政策が盛り込まれていました。
米国の石油輸入依存度はこの計画が実施された後も上昇を続けたため、この計画の主目的であるエネルギー自給が達成されることはありませんでしたが、一方でこの計画は米国初の包括的なエネルギー戦略という意味で画期的な性質を持っていたこと、また国内鉱区の開放を推進することで、後年のメキシコ湾岸地域における石油の増産の道筋をつけたという点で非常に重要な意味を持つエネルギー政策であったということができます。
次のフォード政権の下では、1975年に「省エネ法(Energy Policy Conservation Act)」が成立し、その中で特に乗用車と小型トラックに対しては製造者別に一定の燃費基準を設けるCAFE基準(Corporate Average Fuel Economy Standard)と呼ばれる省エネルギー規制が設けられました。このCAFE基準は1970年代末から1980年代にかけて輸送部門のエネルギー効率を高め、米国内の石油需要を抑制するために大きな役割を果たしたといわれています 。※6
1977年に就任したカーター大統領は、石油輸入量の削減をより強く意識した「国家エネルギー計画」を打ち出しました。この計画の中では、政府による石油・天然ガス価格の規制やエネルギー需給の管理、国民に対する省エネルギーの呼びかけや代替エネルギー開発の推進、産業用燃料の国内炭への転換促進などといった米国のエネルギー政策の歴史の中では政府介入色の濃い政策が盛り込まれていました。この計画は、第一次石油ショック以降、米国の石油供給における輸入依存の高まりが問題視されていたものの、実際には国内の石油生産量が減少傾向にあったこともあり輸入依存度がさらに高まっていたという危機感を反映していたということが指摘できます。しかしながら、この計画の実行段階にいたっては、国内の関連業界から強硬な反発が起こっただけでなく、1979年に起きたスリーマイル島原子力発電所事故、テヘラン米大使館占拠・人質事件などでカーター政権全般への批判が高まったこともあり、十分な成果を挙げることはできませんでした。

【第121-2-7】米国におけるエネルギー制作の潮流

※6: International Energy Agency, Energy Policies of IEA Countries: The United States 1998 Review (Paris: International EnergyAgency, 1998), 32.

〔2〕欧州

欧州では、第一次石油ショック以降、大きく分けて省エネルギーの推進と原子力などの石油代替エネルギーによる石油依存度低減という2つの政策的な取組が進められました。フランスにおいては、1974年3月に「エネルギー計画」が閣議決定され、石油消費の抑制や原子力発電所建設の加速、国内炭の増産などによる石油依存度の低減や、家庭用燃料油の10%削減などといった省エネルギー政策が推進されました。西ドイツ(当時)では1974年2月に発表された年次経済報告において、石油依存度の引き下げや代替エネルギー源、特に石炭政策の見直しが強く打ち出されました。この中で、石油依存度の引き下げの具体的な方策としては代替エネルギーの供給増大を促すための税制の検討、輸入石炭による石油の代替可能性の検討などが進められました。
上記のような一連の政策が展開されたことにより、欧州における石油消費量は着実に減少し石油依存度も低下していきました。(第121-2-8)はEU15カ国における石油消費量と石油依存度の推移を示したものです。1973年と1979年の2度の石油ショック以降、大きく石油消費が減少していることが見て取れます。石油依存度についても、1970年代初頭には60%近い水準にありましたが、1970年代後半から着実に下降を始め、現代では40%を下回る水準にまで低下しています。

〔3〕先進国間の連携

1973年の第一次石油ショック以降、OPECを初めとする産油国の影響力が高まる中で、消費国の間でも何らかの連携を形成することで産油国に対抗していこうとする動きが見られ始めました。1974年には米国のキッシンジャー国務長官のイニシアティブの下に経済協力開発機構(Organisation for Economic Co-operation and Development: OECD)に加盟する国が中心となって国際エネルギー機関(International Energy Agency: IEA)が設立されました。その設立に際しての目的は以下の5点です。

  • 1) 石油の供給途絶に対する対応システムの維持・改善
  • 2) 非加盟国や産業界、国際機関との協力関係の下での合理的なエネルギー政策のグローバルな規模での推進
  • 3) 国際石油市場における常設の情報システムの運営
  • 4) 代替エネルギー源の開発と効率的なエネルギー消費の推進による世界のエネルギー需給構造の改善
  • 5)環境政策とエネルギー政策の統合の支援

IEA設立当初の主たる目的は、消費国が連携してOPEC諸国による一方的な原油価格の引き上げを抑制しようとするものでしたが、この試みは十分な結果には結びつきませんでした。しかしながら、IEAは加盟国における石油備蓄や緊急時の協調融通制度の整備を推進するという意味では非常に大きな役割を果たしてきました。
設立当初に確立された緊急時融通スキーム(Emergency Sharing System: ESS)では、IEA加盟国全体において7%以上の石油供給が削減する(ないしは削減のおそれがある)場合に加盟国が協調して備蓄原油を放出する体制が整備されました。その後、1984年にはESSよりも柔軟な放出枠組みとして協調的緊急時対応措置(Co-ordinated Emergency Response System: CERM)が整備され、IEA加盟国いずれかにおいて7%未満の石油供給削減(ないしはそのおそれ)の場合でも加盟国の備蓄原油を放出できる体制が確立しました。1991年の湾岸戦争時には、実際にこのCERMに基づいた備蓄原油の放出が行われ、大きな効果を発揮しています。さらに、2005年8月に米国に巨大ハリケーン・カトリーナが襲来し米国内の石油供給システムに甚大な被害が生じた際にも、IEAは襲来後5日間という極めて短期間の間で備蓄放出を決定しこれまでの想定していた産油国における供給途絶ではなく、消費国に由来する供給途絶に対しても柔軟にその備蓄原油を放出しました。

3.マーケットの時代

1970年代における2度の石油ショックとそれによる原油価格の高騰は、需要面・供給面の双方において大きな影響を及ぼし、1980年代以降の国際石油市場における構造変化に結びつく大きな要因となりました。

(1)OPECの減産と逆石油ショック

1973年の第一次石油ショック、1979年の第2次石油ショックによって国際石油価格は大きく上昇しましたが、これはOPEC産油国にとって良いことばかりではありませんでした。この石油価格の上昇によって世界の石油需要が減退しただけではなく、2.で述べたように、それまでは高コストで経済性の見合わなかった非OPEC諸国の油田の開発が進み、需給バランスが大きく緩和したのです。このため、OPEC諸国は価格を防衛するために大規模な減産を余儀なくされました(第121-3-1)。

このOPEC減産の中でもとりわけ減産の度合いが大きかったのが、価格の下落を避けるべく需給調整役を果たしていたサウジアラビアでした。しかし、そのサウジアラビアも1985年10月には需給調整役を放棄し、新しい原油価格決定方式※7を導入することでそれまでの減産によって失った販売シェアの奪還に乗り出しました。このようなサウジアラビアの戦略転換に対し、サウジアラビア以外のOPEC加盟国や非OPEC諸国が、価格低下による輸出収入の縮小を補うためにさらに増産を行ったため、原油需給が大幅に緩和し原油価格は大きく下落することとなりました。イラン・イラク戦争直後には30ドル/バレル台にあった原油価格は1986年には一時期10ドル/バレルを割り込む水準にまで大きく落ち込みました(第121-3-2)。

この1980年代半ばの原油価格の暴落は、1970年代の2度にわたる原油価格の高騰と対比して「逆石油ショック」と呼ばれており、それまでのOPECによる価格支配構造は実質的に崩壊しました。

※7: この価格決定方式は「ネットバック方式」と呼ばれ、各石油製品の末端価格を原油の製品収率に応じて加重平均し、運賃及び精製コストを差し引いた理論的な原油の価値を元に価格を決定する方式です。この方式によって価格設定された原油は、原油購入者に対し確実に一定のマージンの与えるため、サウジアラビア原油に対する需要が集中することになりました。

(2)先物市場の登場とマーケットの時代の到来

このような需要・供給の両面で需給緩和が進む中、1982年にはロンドン市場で、また1984年にはニューヨーク市場で原油の先物取引が開始しました。

【第121-3-3】ニューヨーク市上での石油先物取引の模様

先物取引導入の背景には1970年代から1980年代にかけて、原油取引においてスポット契約の比率が増加したことがあります。このスポット契約が増加した理由としては、2度にわたる石油ショックによる原油価格の高騰によってそれまでは採算に見合わなかった非OPEC地域の石油生産量が増加したこと、また産油国における自社の権益原油を喪失したメジャーが自社の製油所に供給する原油を確保するためにスポット市場での原油調達をより活発に行うようになったことなどが挙げられます。そして、その取引リスクのヘッジを行うために、このような先物市場の必要性が認識されるようになったのです※8。ただし、スポット契約の増加によって、実際の需要を持たないトレーダーも市場に参加するようになり、現物の受け渡しを行わない、いわゆる「ペーパー取引」も増えることになりました。1980年代の消費国における規制緩和の動き(次項「?自由化を進める先進国」において詳述)もこの先物市場の拡大を促進したと言えます。
 このような流れの中で、世界の各地域間の市場の連動性が高まり、また石油価格に影響を与える要因がより多様化したことによって、将来の石油価格の変動に対する不確実性が強く認識されるようになりました。加えて、1980年代以降は需給の緩和が進んだこともこれまでの右肩上がりの原油価格の動向になじんできた石油会社にとってリスクヘッジのニーズを高めました。このような一連の要素によって、先物市場への関心は着実に高まっていきました※9(第121-3-4)。

先物市場における取引高が増加し、現物石油取引の価格ヘッジとしての役割が拡大するようになると、現物の石油取引における価格付けそのものにもこの先物価格の水準が影響するようになってきました。また、OPECの中でも1980年代に入り失ったシェアを回復するには、硬直的な公式販売価格※10 を維持し続けるよりも、先物で取引されている競合原油の価格を参考にしてより柔軟な価格決定を行うべき、との考えが現れ始めました。このような産油国側の価格決定方針の転換を背景にして、1990年代に入ると、世界の石油価格を特定の指標原油の先物価格にリンクさせて決定するという現在の価格決定方式が定着しました。
このようにして、OPECが一方的に石油価格を決定するという時代は終わりを告げ、市場メカニズムが石油価格を決定するというマーケットの時代が到来しました。1970年代初頭の世界の石油需要の急増を背景にその支配力を高めたOPECにとって、1980年代に入り、高価格による石油需要の減退と非OPEC地域における石油増産によって石油需給が大幅に緩和したことは、その支配力の源である大きな前提条件が失われたことを意味していました。また、OPECが主権国家の集合体であったこともあり、石油需給の緩和に対して一致団結して有効な生産管理(減産)を行うことができなかったことも、OPECが価格決定権を失うことになった要因の1つとして指摘できます。このように、価格決定者としてのOPECの存在感が後退する中で、石油の先物市場が登場し、その影響力を拡大し続けたことによって、石油の価格はその時々の需給を反映したマーケットによって決められるというメカニズムが確立するに至ったのです。

※8:須藤繁 『石油市場の現状と将来?偏在と互恵』(1995年、財団法人世界の動き社)、p.49-56.
※9:同上。
※10:公示価格に基づき、各産油国が自国の権益原油の販売価格として採用していた価格。

(3)自由化を進める先進国

需給が緩和し、原油価格も安定化していく中で、消費国サイドでは経済合理性を追求してエネルギー市場の自由化を進めていきます。その中で、省エネルギーや石油依存低減を引き続き重視する日欧と市場原理の徹底を図ろうとする米国とで路線の違いが浮き彫りになります。

〔1〕米国の動向

1981年に就任したレーガン大統領は、それまでの強力なイニシアティブをとる政策路線と一線を画し、石油・エネルギー政策における連邦政府の役割を最小化しエネルギー需給を徹底して自由市場の判断に委ねる「市場原理」(「市場の論理」、"Market Power Principle")政策を導入しました。このような市場原理を協調する政策基調は、それまでのニクソン政権を含む前3政権の路線から大きく異なるものでした(第121-2-7)。
「市場原理」政策は個別の企業や経済主体による利益追求が国家の最大利益実現に繋がるとの前提の下に、エネルギー産業を種々の制約、規制から解放する一方で、政府による産業政策や各種助成事業を抑制し、国内のエネルギー産業運営を実質的に市場の手に委ねようとするものでした。1980年代の国際石油市場においては、非OPEC産油国による原油生産が増加しOPECの原油供給に占める世界シェアが低下することによってその原油価格支配力が弱まりつつあったこと、また世界経済同時不況から石油需要の伸びが低下していたこともあり、レーガン政権の市場自由化政策が受け入れられ易い環境も整っていました。この後、1990年代に入り、ブッシュ大統領やその後のクリントン大統領においても、この市場原理重視の傾向に大きな変化は見られず、また冷戦の終結によって石油を戦略商品とみなす思考も徐々に後退していきました。
米国石油需要も逆石油ショック以降、それまでの減少基調から一転し、再び増加を始めます。

(第121-3-5)は米国における石油消費量と石油依存度の推移を示したものです。1973年と1979年の2度の石油ショック直後は石油消費が減少していますが、原油価格が大きく下落した1980年代以降は、堅調に石油消費が増加しています。
 このような需要の伸びと国内生産の伸び悩みによって、米国の石油輸入量は近年増加の一途をたどっています。米国への石油輸入量は1981年には626万B/Dでしたが、2005年にはこの倍以上の1,371万B/Dにまで増大しています 。※11このような圧倒的な石油需要の規模とニューヨーク市場における先物取引を通じて、米国の石油需要は世界の石油市場に大きな影響を与えるようになりました。

※11:米国エネルギー情報局ホームページ(http://tonto.eia.doe.gov/dnav/pet/hist/mttimus2a.htm)

〔2〕欧州の動向

1980年代に入ると、欧州各国でもエネルギー市場の自由化が進みました。この点で欧州の他国に先駆けていたのが英国です。英国では1980 年代に当時のサッチャー政権下、ガス部門でBritish Gas(BG)の独占解体を含む自由化が進められました。電力部門においても1990年に国有電力会社の民営化と発電・送電・配電の分離がなされ、1999 年には家庭用を含めた全面自由化が完了しています。ドイツにおいても同様に、1990年代以降、自由化が進められ、電力部門では1998 年に新エネルギー法が施行され、家庭用も含めた完全自由化市場が形成されています。このような各国における自由化政策は欧州連合(EU)による自由化方針に基づいて行われており、2007年にはEU域内での電力・ガス市場の自由化が予定されています。
1980年代から90年代にかけてのもう1つの潮流は、気候変動問題への関心の高まりを反映した更なる省エネルギーや天然ガスへの燃料転換への動きです。省エネルギーについては、1980年時点でのEU15カ国平均のエネルギー原単位は0.24石油換算トン/GDP千米ドルでしたが、2004年には0.18石油換算トン/GDP千米ドルにまで改善しています 。※12天然ガスへの転換については、例えば、ドイツでは1980年時点では天然ガスの一次エネルギー供給に占める割合は14.2%でしたが2004年には22.6%にまで増加しています。英国でも国内資源の有効活用という観点からもガス転換を促進する政策が展開され、一次エネルギー供給に占める天然ガスの比率は1980年の20%から2003年には34%まで上昇しています。

※12:IEA, Energy Balances of OECD Countries 2003-2004(2006 edition)

このような石油依存度の低下が進んだ一方で、1986 年のチェルノブイリ事故以降、フランスを除いて欧州各国は、原子力発電に対しては一定の距離を置いてきました。イタリアにおいては、1973年の石油ショック以降、石油依存度の引下げを図るため、原子力発電の展開を進めてきましが、1987 年に行われた国民投票の結果、原子力利用廃止が決定、全ての原子力発電所が閉鎖されました。オランダでは、1969年と1973年に原子力発電所が運転を開始しましたが、1990年代に入ると新規原子力発電所の建設は凍結されました。また、1995年には、政府は新規の原子力発電所建設は行わないとの方針を明らかにし、1997年には、1969年運転開始の原子力発電所を経済性に劣るとの理由から閉鎖しました。ドイツでは、2002年、政府と電力業界の間で国内の原子力発電所を段階的に廃止していくことに関する合意がなされました。内容としては、原子力発電所の平均運転期間を32年間とし、その後は廃止していくというものです。しかしながら、第3章第3節2.欧州の項で述べるように現在、欧州においては原子力に対する見直しの機運も高まりつつあります。2006年には、英国など欧州諸国が原子力新規建設へ方針転換するなど原子力推進に舵を切っています。
米国と欧州の動向を比較すると、2度にわたる石油ショック直後に石油需要と石油依存度が大きく減少した点、また逆石油ショック後の1980年代後半には石油需要の減少傾向が反転したという点においては共通していますが、1990年代以降は、欧州においては地球温暖化問題の観点から天然ガス化や省エネルギーがさらに進められたこと、従って石油需要にも米国のような明示的な増加傾向は見られないという点において大きな違いが存在しています。

【第121-3-6】欧州における政策動向

(4)供給サイドにおける投資の低迷

1980年代半ばの逆石油ショック以降、石油需要が増加する中で、供給側の能力増強はどのように行われてきたのでしょうか。OPEC諸国では、1980年代以降に大規模な減産を行い、余剰生産能力を抱えていたことから、生産能力の増強に対しては積極的に取り組んでおらず、1990年代以降、生産能力は3000万BD前後で推移してきました(第121-3-7)。

一方、石油メジャーでも、1980年代後半から1990年代半ばにかけては、上流部門への投資が年平均200~300億ドル程度と低水準であることがわかります。1990年代後半に入ると、メジャーの資本支出は増加する傾向を見せますが、開発資機材の高騰によるコスト増加によるところが大きいとの指摘もあります(第121-3-8)。

アジア経済危機によるアジア地域の石油需要の低迷によって原油価格が下落した1990年代後半、石油メジャー各社は主力の石油上流部門の業績が低迷し、さらなる企業の合理化を余儀なくされました。この中で、1998年にBPが米国独立系石油会社アモコを買収したのを皮切りに、メジャー企業間での大規模な合併・買収が行われました。1999年にエクソンが同じく石油メジャーの一角を占めるモービルと合併し、それまではいわば準石油メジャーとみられていたフランスのトタールも1999年にベルギーのフィナ、そして2000年には同じくフランスのエルフと合併し、現在では他の石油メジャーと肩を並べる存在にまで拡大・成長しました。その後、BPも2000年には米国独立系石油会社のアトランティック・リッチフィールド社を買収し、シェブロンも同じく石油メジャーのテキサコと合併するなど、めまぐるしい合併・買収が続いた結果、(第121-3-9)に示すような現在の企業構成が完成しました。このような合従連衡によって生まれた新会社は、それまでのメジャーという言葉に対比させて「スーパーメジャー」と呼ばれることもあります。

【第121-3-9】メジャー各社の合従連衡推移

4.構造変化の時代

(1)アジアを中心とする石油需要の増大

2000年代に入ると、国際石油市場は構造変化の時代を迎えます。この構造変化の最も大きな要因となっているのが世界的な石油需要の増加です。この需要急増の背景としては、ます世界経済が好調な状態を続けているという点が挙げられます。2001年から2005年にかけての世界の実質GDP成長率は年率平均で4.0%となっており、1990年代と比較して高い成長率を維持しています。この中で世界の石油需要も堅調に増加しており、特に2004年は中国と米国を中心に3.5%という高い増加率を記録しました(第121-4-1)。

世界的な石油需要の増加が続く中で、国際石油市場におけるプレーヤーの構成も変化しつつあります。需要側では、1973年時点で世界の総需要の約73%を占めていたOECD諸国は、2005年時点では60%にまでそのシェアが低下し、更に2030年には約半分にまで低下すると見られています。これに対し今後大きく需要を拡大させると見られているのが、中国を中心とするアジア諸国です。
好調な経済に支えられて、近年アジアにおいてはエネルギー需要が急増しています。1980年代までは、アジア諸国は世界の石油市場においては目立たない存在でした。例えば、1980年時点での非OECDアジア諸国の石油需要は世界の石油需要のうち7%を占めるに過ぎませんでした。しかしながら、1990年代に入り、中国やインド、東南アジア諸国において経済が急成長する中で、石油の消費量も併せて拡大し、国際石油市場に対しても影響力を有するようになりました(第121-4-2)。

この中でも、とりわけ増加幅の大きい国が中国です。1995年から2005年にかけて、その石油需要はほぼ倍増しており、全体的に石油需要が増加傾向にあるアジア諸国の中でも群を抜いた規模で石油需要の増加が続いています(第121-4-3)。

今後もこの石油需要の拡大が続いていくことは確実視されており、国際エネルギー機関の予測によれば2030年には世界全体の石油需要の約13%を占めると見られ※13、今後世界の石油市場に対する影響力はさらに高まっていくことが予想されています。
インドで1990年代の高い経済成長を背景にエネルギー需要も増加する傾向を見せており、石油需要についても特に1990年代後半以降は急速に伸びてきています(第121-4-4)。

このため、インドの石油輸入量も増加しており、全石油消費量(250万バレル/日)のほぼ7割(170万バレル/日)を輸入に依存しています。国際エネルギー機関の予測によると、今後インドの石油需要はさらに増加を続け2030年には540万バレル/日にまで増加すると見られています。
東南アジアにおいても、中国やインド同様、国内の経済成長と併せて石油需要が増大してきました(第121-4-5)。

特に1980年代の半ば以降、東南アジア諸国においては、電子部品・エレクトロニクス関連の工業品輸出を軸に急速に工業化が進み、アジア経済危機が発生する1997年までの石油需要も著しい伸びを示しました。これらの国々における石油需要についても、モータリゼーションや工業化の進展、生活水準の向上に伴い、今後堅調に増大していくことが確実視されています。(第121-4-6)

石油製品の需要構成については、輸送部門が大宗を占めるという点では先進国と共通していますが、この輸送部門における需要も自動車保有台数の増加と経済活動の活発化に伴う物流部門での燃料消費量の増加により、今後も堅調に増加していくものと見られています。また、工業部門の発展により産業用燃料としての需要も今後高まっていくと考えられます。さらに民生部門においては、生活水準の向上に伴って、バイオマスのような伝統的なエネルギー消費からLPGや灯油のような石油製品の消費へとエネルギーの消費形態が変化していくことも予想されています。

※13:International Energy Agency, World Energy Outlook 2006.

(2)供給余力の低下

石油需要の大幅な伸びが続き原油価格が高止まりを続ける中、世界的な供給余力の不足が問題にされるようになりました。2002年には800万バレル/日程度存在していたOPEC原油余剰生産能力(世界の原油供給余力)も、その2年後の2004年後半には100万バレル/日を割り込む水準にまで急激に低下しました(第121-4-7)。

その後、余剰能力の水準は若干回復しているものの、その大半がサウジアラビアに集中する状況となっています。すなわち、ごく一部の国を除くとOPECといえども余剰能力がない状態となっており、産油国の石油生産・輸出に何らかの問題が生ずるような場合には、国際石油市場に極めて大きな影響が及ぶ可能性があります。

(3)多様化する産油国

1980年代半ば以降、米国では全体的に減産基調が続いており、2005年時点での原油生産は683万バレル/日とピーク時の生産量の6割程度にまで落ち込んでいます。最近では、深さ数千メートルまで掘削する技術が開発され、この技術によってメキシコ湾岸での更なる新規油田開発への期待が高まっていますが、全体的な減産基調は今後も変わらないと見られています。北米同様、北海油田においても現在では成熟化が進み、英国の生産量も1999年に291万バレル/日を達成した後は急速に減退が進んでいます。ノルウェーからの生産についても、政府の資源温存政策の下での生産が続けられてきましたが、2001年に342万バレル/日を生産して以降、減産が続いています。北海油田は米国同様、その生産量は下降局面に入ったといえます。
 一方、OPECではしばらく生産能力増強が見送られてきましたが、近年、生産能力増強に向けた動きが活発化しています。加盟各国の政府が発表している生産能力の増強計画によれば、イラク、インドネシアを除くOPEC9カ国においていずれも大規模な生産能力の増強計画が進められています(第121-4-8)。特に世界の石油埋蔵量の22%を保有する世界最大の産油国であるサウジアラビアは、現在既に200万バレル/日以上の余剰生産能力を保有していますが、1,250万バレル/日という大規模な生産能力確保に向けた増強投資を進めています。

旧ソ連地域では、1991年にソ連が崩壊すると、経済の放棄や市場経済への移行に伴うロシア経済の混乱、石油開発・生産に必要な資金の不足などの理由により、石油生産量は急激に減少しましたが、1999年以降の原油価格上昇によってロシアの各石油企業の石油収入が増大し、上流部門(主に開発・生産部門)への投資が拡大したことなどから、ロシアの生産量は目覚しい勢いで拡大基調に転じ、2005年時点で、ロシアは955万バレル/日の生産を行っており、サウジアラビアと双璧をなす存在にまで復活を遂げました。今後は1990年代末以降見られたような急激な石油生産の伸びはないものの、中長期的に1,000万バレル/日以上の生産を継続するものと予測されており(第121-4-9)、引き続き世界の石油市場にとって重要な産油国であり続けると見られています。

このほか、アフリカでも石油生産が増大しており、旧ソ連と比べて生産量自体はまだ小さいものの、今後の増産が期待されている地域です。最近でも、1990年代後半にはスーダンやチャドなどの新興産油国が登場し、サントメ・プリンシペ、モーリタニアなどこれまでは原油の生産が行われてこなかった国々においても、油田開発への投資が進められています。国際エネルギー機関の予測によると、今後も少なくとも10年間程度はアフリカ地域における増産基調は継続するものと見られています(第121-4-10)。

このように米国や北海などでの油田の成熟化が進み、減産を余儀なくされている一方、OPECや旧ソ連地域、アフリカなどの新興勢力が石油生産を拡大しています。しかしながら、こうした国々では石油生産の増大が期待される一方で、順調に石油生産能力を進めていけるか懸念する事態も起きています。例えば、イランにおいては米国からの経済制裁が課せられている上に、核開発問題を巡る国際的な緊張が高まる中で外国企業による投資も停滞気味です。また、国内の政治情勢が不透明さを深めるナイジェリアにおいても、今後計画通りに能力の増強が達成されていくのか疑問視する声もあります。さらに、このような生産能力の増強計画を効率的に進めていくには豊富な資金力と高度の技術力をもつ欧米石油会社の参入が重要となりますが、ベネズエラなどにおいては国内の天然資源に対する国家管理を強化し、外国企業の参入を制限する動きが強まっています。このような資源ナショナリズムの動きによって石油生産能力の増強に遅延が生じ、国際石油市場の需給逼迫が起こることに対する懸念も高まりつつあります。

COLUMN

OPECにおける主要国の概要

サウジアラビアは2007年2月時点で860万バレル/日を生産するOPEC最大の産油国です。サウジアラビアは国家財政の大半を石油収入に依存していることもあり、国家財政安定のために適切な石油価格の維持を目指しています。また、その世界最大の石油埋蔵量を可能な限り長期間にわたり安定的に生産し続けることによって石油収入を最大化させるという目的の下、高すぎる石油価格は需要の後退、代替エネルギーの開発促進などを引き起こすため、一貫して石油価格の安定化に向けた取組を進めています。このような背景から、OPECの中では石油価格の安定化を志向する価格穏健派の代表格と見られています。
サウジアラビアはこれまで、世界の石油需給や価格動向にあわせて生産量を調整する「スウィング・プロデューサー」としての役割を果たしてきました。実際に、1991年の湾岸戦争時やその他の2002年末のベネズエラにおけるストライキ発生時などのような局所的な供給途絶が発生した際には、その余剰生産能力を活用して不足分の原油を国際市場に供給することによって、世界の原油市場の安定化に大きく寄与してきました。サウジアラビアは世界の石油市場の安定化のために十分な余剰生産能力を常に保有することを公約している稀有な産油国であり、その国際協調的な政治姿勢や穏健な石油政策からも、今後も世界の石油の安定供給に対し極めて大きな役割を果たしていくものと考えられます。

(1)サウジアラビア

サウジアラビアは2007年2月時点で860万バレル/日を生産するOPEC最大の産油国です。サウジアラビアは国家財政の大半を石油収入に依存していることもあり、国家財政安定のために適切な石油価格の維持を目指しています。また、その世界最大の石油埋蔵量を可能な限り長期間にわたり安定的に生産し続けることによって石油収入を最大化させるという目的の下、高すぎる石油価格は需要の後退、代替エネルギーの開発促進などを引き起こすため、一貫して石油価格の安定化に向けた取組を進めています。このような背景から、OPECの中では石油価格の安定化を志向する価格穏健派の代表格と見られています。
サウジアラビアはこれまで、世界の石油需給や価格動向にあわせて生産量を調整する「スウィング・プロデューサー」としての役割を果たしてきました。実際に、1991年の湾岸戦争時やその他の2002年末のベネズエラにおけるストライキ発生時などのような局所的な供給途絶が発生した際には、その余剰生産能力を活用して不足分の原油を国際市場に供給することによって、世界の原油市場の安定化に大きく寄与してきました。サウジアラビアは世界の石油市場の安定化のために十分な余剰生産能力を常に保有することを公約している稀有な産油国であり、その国際協調的な政治姿勢や穏健な石油政策からも、今後も世界の石油の安定供給に対し極めて大きな役割を果たしていくものと考えられます。

(2)UAE(アラブ首長国連邦)

UAEは2007年2月時点で254万バレル/日を生産するOPEC第三の産油国です。UAEは2004年まで我が国にとって最大の原油供給国であり、2006年の輸入実績においてもサウジアラビアに次ぐ第二の原油供給国となっています。サウジアラビア同様、UAEも、膨大な石油埋蔵量(978億バレル、世界第5位)を出来るだけ長期に生産・輸出し続けられるよう、極端な石油価格の高騰を避け、石油市場の安定化を志向しています。実際にOPECにおいても、UAEはサウジアラビアと共同歩調をとることが多く、OPECの中でも価格穏健派に属すると見られています。また、UAEは、伝統的な利権協定方式による外国企業の石油上流部門操業を現在も認めており、OPECの中でも希有な存在といえます。その柔軟な供給行動パターンや穏健な政治姿勢、国際協調路線などから、UAEは今後とも世界石油供給能力の増強と石油市場の安定化にとって重要な国といえるでしょう。

(3)イラン

イランは2007年2月時点で387万バレル/日を生産するOPEC第二の産油国です。イランは、1951 年に中東で初めて石油産業の国有化を達成した国であり、1973年には同国テヘランにおいて開催された会議において、原油公示価格の大幅引上げを国際石油会社側に認めさせる「テヘラン協定」を調印に導いたことでも知られています。他のOPEC産油国と比較して人口が多く、高い石油収入を確保する必要性が高いことからも、OPECの中でも価格強硬派に属するといわれています。
イランは、1970年代の半ばには500万バレル/日を超える高い生産量を誇っていましたが、1980 年代以降は、イラン・イラク戦争の影響と戦火による被害のため石油生産能力が低下し、さらには1996年に施行された米国による対イラン経済制裁の影響もあり、イランの油田に対する投資は大きな影響を受けました。今後は、減耗が進みつつある国内油田の生産能力の維持拡大を図り、なおかつ世界第二位の天然ガス埋蔵量の商業化を進めるためにも更なる外資の導入が必要になると見られています。このため、現在、イランにおいては外資導入のための制度の改編が進められています。しかしながら、核開発問題をめぐり国際社会の中でのイランの孤立化する傾向が深まる中で、イランに対する外資企業の投資も停滞傾向にあり、どのようにして国内の石油部門に対する十分な投資を確保していくのかという点は、今後イランの石油政策にとって大きな課題となっています。

(4)ベネズエラ

ベネズエラは2007年2月時点で243万バレル/日を生産しており、OPECの中ではサウジアラビア、イラン、UAEに次ぐ第4の産油国です。1948年に当時画期的な石油会社との利益折半協定を導入し、また1960年にはサウジアラビアとともにOPEC設立を主導したことからも分かるように、産油国の中では伝統的に強硬的な立場をとり続けてきた国と見なされています。
1990年代には減少傾向にあった国内生産を回復させるため、国内の石油上流部門への外資解放に踏み切りますが、1999年に大統領に当選したチャベス大統領は、このような開放政策の見直しを進めています。2001年には新炭化水素法が制定され、その中で国内の石油ガス資源がベネズエラの国富であることを確認し、国内の石油ガス事業はベネズエラが過半数を終始その支配権を持つことを規定し、既存の外資企業との契約を全て国営石油会社のPDVSAが過半数を所有する合弁事業へ移行することを定めており、外資企業に対する管理政策の強化を行っています。この他、各合弁事業に対する税率の引き上げも行っています。
チャベス大統領は2006年12月の大統領選挙において再選され、今後も国内の天然資源に対する国家管理を重視する路線を維持するものと見られています。

(5)ナイジェリア

ナイジェリアは2007年2月時点で225万バレル/日を生産するアフリカ最大の産油国です。ナイジェリアは、国内の石油生産能力を現行の247バレル/日から2010年までに450万バレル/日へ拡大する計画を発表しています。しかしながら、2007年に大統領選挙を控え、国内の政情が不安定化する中で、地元の武力勢力による石油関連施設への破壊活動が頻繁に行われるようになっていることから、その生産量は生産能力を大きく下回る状況となっています。
ナイジェリアはOPEC設立当初からのメンバーではなく、1971年に加盟しました。国内に1億2千万人の人口を抱え、石油収入の増大をその主要な政策目的に置いていることもあり、OPECの中ではいわゆる価格強硬派に属するといわれています。ナイジェリアの資源ポテンシャルは高く、また産出される原油も軽質低硫黄と良好なため、米国を中心に今後ナイジェリア産の原油に対する需要は高まっていくと見られています。このことからも、ナイジェリアはその不安定な政治情勢にもかかわらず、今後も世界の石油供給にとって重要な位置づけを持つ国であり続けると見られています。

(4)苦境が続く石油メジャー

近年の原油価格上昇は、石油メジャーに未曾有の利益をもたらしましたが、一方で上流権益獲得に向けては厳しい情勢が続いています。

(第121-4-11)は1995年以降のメジャー各社の石油生産量の推移を示したものですが、活発な資本支出にもかかわらず、ここ数年の生産量は増加していません。

最近の石油メジャーの生産量が伸び悩んでいる背景には、その他にも大きく分けて2つの理由が指摘できます。1つは、これまで石油メジャーにとっては主力の生産地域であった北米・北海地域の油田が成熟段階を迎えているという点です。元々石油メジャーは中東産油国などOPEC諸国に大きな権益を保有していましたが、1970年代にこの権益が産油国政府によって国有化され、非OPEC、とりわけ北米・北海などOECD地域の油田へ投資先をシフトしてきました。この北海やアラスカなどOECD地域における生産がこれまでメジャーの中でも大きな割合を占めてきましたが、2000年以降、これらのOECD地域における石油生産の減退が顕在化するようになって来たのです。
そこで石油メジャーにとって次に取るべき戦略は、他の地域へ生産の主軸を移すということになりますが、世界の有望な油田地域においてはその地域の産油国政府が国内の埋蔵量を厳格に管理しており、石油メジャーにとっては非常にアクセスがしにくい状況にあり、こうした傾向が近年強まってきています。これが石油メジャーの現在直面している生産の伸び悩みのもう1つの理由です。例えば、サウジアラビアやメキシコ、クウェートにおいては、そもそも石油上流部門に対する外資企業の参入が認められておらず、ロシアにおいては、第3節で紹介するとおり、エネルギー産業に対する国家管理を強化する動きが活発化し、外資にとって参入が難しくなってきています。石油メジャーも民間企業である以上、投資に対し十分なリターンが得られる必要があり、このような厳しい条件が課されることによって経済的に見合う形での参入機会が著しく限定されることになっています(第121-4-12、121-4-13)。

【第121-4-12】世界地図で見る資源国における参入制限

【第121-4-13】資源ナショナリズムの事例

さらに近年、油田開発に必要とされる資機材価格や人件費の高騰の影響が投資の遅延・抑制を誘引しているという事情も指摘できます。ここ数年の資本支出額の増加分のうち、その多くがこのようなコストの上昇によるものであり、実質的な投資活動の増加分は名目上の増加分のうち半分程度にしか過ぎないのではないか、との見方も存在します。
このような苦境が続く中で、石油メジャーの中には産油国に不足している石油下流部門への投資と併せて上流部門への参入を図るという投資形態を模索する動きも見られています。また、カナダに膨大な埋蔵量が存在することが確認されているオイルサンドや、天然ガスを合成させることによって液体燃料を生産する技術であるガス・トゥー・リキッド(GTL)のようないわゆる非在来型石油への関心を高めている企業もあります(第121-4-14)。

【第121-4-14】メジャー各社の主な非在来型石油の開発動向

(5)国際石油市場における新たな変化

世界需要が増大する中、現在の国際石油市場においていくつかの変化が見られ始めており、こうした変化が石油市場の不安定化要因となる可能性があります。世界の石油価格の決定においては、圧倒的な取引量を誇るニューヨーク市場が極めて大きな影響力を持っていますが、近年米国国内での需給状態の影響が世界の石油価格に大きく波及するという現象が明確に見られるようになってきました。米国ではこれまで自由化政策の下で非効率な製油所の閉鎖などが相次ぎ、最終消費者に至るまでの供給チェーン全体の余力が低下してきています(第121-4-15)。

また州や郡ごとに異なる石油製品規格の導入により国内での製品融通が柔軟に行えなくなってきていることも市場におけるいわゆる緩衝材(バッファー)が縮小する要因となっています。これらの米国市場におけるバッファーの低下が、米国の製品価格に対する影響を通してニューヨークの原油相場、ひいては世界の原油相場の形成にも大きな影響を与えるようになっています。
このような米国石油市場に係る要因や、世界的な石油需要の増大と併せて、昨今の原油価格の高騰の要因となっているのが、産油国をめぐる政情の不安定化や国際的な緊張状態、いわゆる「地政学的リスク」の高まりです。地政学的リスクについては、2006年12月の国連制裁決議によって新たな段階へ移行したイランにおける核開発問題、また2007年に予定されている大統領選挙に向けた政局の流動化が危惧されるナイジェリア情勢がとりわけ注目されています。さらには、2006年の国際石油市場においてはさほど取引材料とはみなされてこなかったイラク情勢についても、国内の政情不安定化が加速することによってイラクからの更なる輸出量の減少や、隣国の産油国も巻き込んだ中東全体の政情不安定化につながる可能性も指摘されています。 さらに、1990年代の米国低金利政策によって、原油先物市場に年金ファンドのような、これまでは見られなかったような新しいタイプの投機資金が大量に流入するようになっています。このような投資家が長期保有の目的でロング(買い)ポジションを取ることが、石油先物価格の1つの上昇要因とされています。
こうした地政学的リスクや投機資金の流入によって原油価格が高騰している根拠のひとつとしてよく指摘されるのが、米国の石油在庫と原油価格との間における相関関係の変化です。元々原油在庫と原油価格には負の相関関係があるといわれています。これは原油在庫の積みあがりは市場における需給の緩和を意味し、逆に在庫の減少は需給の逼迫化傾向を表すものと考えられるからです。この点に関して、(第121-4-16)は1995年から2003年までと、2004年から2006年までのニューヨーク原油先物価格と米国原油在庫の関係を分布図に示したものですが、2003年以前の原油価格が原油在庫の水準と負の相関関係を保っていますが、2004年以降はむしろこの関係が逆転していることが分かります。このことは、現在の原油市場が現物の需給バランス(ファンダメンタルズ)とは異なった理由で高止まりを続けている一つの証左として考えることが出来ます。

(6)国際石油市場の安定化に向けた課題

このように、2000年代の国際石油市場においては、構造的な需給の逼迫化や新規プレイヤーの登場、新たな投機資金の流入などといった大きな構造変化が進みつつあります。
このような状況下において、国際社会としてはこれからどのような取組を進めていけばよいでしょうか。まず指摘できるのが、オープンで透明性の高い石油市場を整備していくことです。国内にほとんど石油・天然ガス資源を持たない我が国にとって、必要な量のエネルギー資源を購入できる市場が常に存在しているということがエネルギー安全保障を確保するうえで特に重要です。このような透明性の高い市場の整備に向けた取組の1つとして、現在世界の石油の生産や製品需要動向、在庫の状況などを網羅したデータベースを整備するJoint Oil Data Initiative(JODI)と呼ばれるプロジェクトが進行中です。このような市場の透明性を向上させるような取組を通して、消費国・産油国がお互いに必要なデータをタイムリーに共有しあえるような枠組みを構築していく必要があります。
加えて、緊急時が発生した際のいわゆる「パニック買い」を抑制できるシステムを作り上げておくことも重要です。需要サイドにおいて、中国やインドなど新たな石油の消費大国が台頭しつつあることは既に述べたとおりですが、これらの石油ショックの経験がない新しい需要大国が、緊急時が発生した際にも、過度の買い漁りなどの行動を起こさぬよう、石油備蓄の導入や消費国間の連絡体制整備などの取組を積極的に進めていく必要があります。
こうした課題に対応するため国際機関、特にIEAの果たすべき役割は今後極めて重要になります。国際石油市場が複雑化・多様化し、産油国と消費国との関係が大きく変化しつつある現在、市場における透明性の向上と安定化のために産油国と消費国との間での対話が益々重要となってきています。その中で、IEAはこれまでも産油国と消費国との間のいわゆる産消対話を促進し、これが世界規模での唯一の閣僚レベルの対話である1991年の国際エネルギーフォーラム(IEF)の設立につながるとともに、2005年にはIEFの協力の下、アジア石油天然ガス産消国ラウンドテーブルを通じたアジア及び中東地域での生産国と消費国との対話も始まりました。今後は、国際エネルギー市場の安定、地球温暖化問題への対応の視点から、加盟国間での活動だけではなく、今後のエネルギー需要の大幅な増加が予想されるアジア等の非加盟国諸国との関係強化を視野に入れた活動が期待されます(第121-4-17)。

【第121-4-17】IEAの歴史的役割の変化

5.グローバル化するLNG市場

前節まで、国際石油市場の歴史的変遷を概観してきましたが、本節では、我が国においてもその重要性を益々高めつつあるLNG市場のグローバル化の動きについて紹介します。
LNGは天然ガスを液化したものであり、生産された天然ガスの7%程度がLNG化されています。その他はパイプラインでガス体のまま消費地に輸送されます。天然ガスは生産国内での消費量が74%であり、国際間取引は26%に過ぎません。そのうち、LNGは7%であり、現在では、石油に比べ世界市場は小さいと言えます。ただし、天然ガスは有力な石油代替エネルギーであり、近年その需要が高まっています。特にLNGはパイプラインによる天然ガス輸送と異なり世界中どこでも輸送が可能なことから、エネルギー需要の世界的高まりの中でその重要性、戦略性が高まっており、今後の市場動向が注目されています。

(1)LNG市場の現状

まず、世界のLNG市場における需給構造について概観しておきます。以下の(第121-5-1)は世界の天然ガス需要とLNG需要をそれぞれ地域別、国別に見たものです。天然ガス需要においては米国、ロシアなどがガスの消費大国となっていますが、LNGでは日本が全体の40%以上を占める最大の消費国となっており、その次に韓国、スペインと続きます。この違いは、日本や韓国などは、米国やロシアとは異なり、国内に大規模な天然ガス田が存在せず、パイプラインによるガスの輸入も実現していないため、天然ガス供給のほとんどをLNGに依存せざるをえないという事情によるものです。

次に、世界のLNG市場における供給について見てみましょう。(第121-5-2)は世界の天然ガス生産における地域別の内訳とLNG生産における国別の内訳をまとめたものです。天然ガス生産については、旧ソ連と北米で半分以上の生産が行なわれていますが、LNGについては、インドネシアやマレーシアといったアジア地域の産ガス国、またはアルジェリアやカタールといった中東・北アフリカ地域の産ガス国が上位に来ていることが分かります。特に、カタールについては、現在大規模な増産プロジェクトが進められており、2006年にはインドネシアを抜いて世界最大のLNG輸出国になりました。

(第121-5-3)は世界のガス貿易におけるLNG貿易の推移を表したものです。世界のガス貿易量は2005年の実績で7,312億立米/年ですが、このうちLNG貿易は26%を占めるに過ぎず、残りはパイプラインにおける貿易となっています。この意味では、LNGはまだ世界全体で見れば主流の貿易形態とはいえませんが、図中においても明らかなように、その絶対的な貿易量もここ数年は堅調に増加する傾向を見せており、今後も世界のガス貿易において一定のシェアを維持し続けるものと考えられます。

次に、(第121-5-4)はそれぞれLNGの輸出地域と輸入地域の推移を表したものです。輸出地域につきましては、2000年代に入り、アジア地域からの生産量が伸び悩む一方で、カタールやナイジェリアなどで新規プロジェクトが相次いで立ち上がりつつある中東やアフリカからの輸出量が増加していることが分かります。一方、輸入地域につきましては、各地域とも堅調な伸びを見せていますが、とりわけ直近の数年間における北米地域での増加が目を引きます。このような北米市場における需要増加は、近年の天然ガス価格の高騰によって、スポットLNGカーゴがアメリカに多く流入したことが大きく寄与していますが、域内市場全体の規模が極めて大きいこともあり、今後の輸入需要の動向についても大いに注目を集めています。
 世界のガス需要は、経済成長に伴うエネルギー需要増や輸入国のエネルギー源多様化政策の推進、環境問題への対応、原油価格高騰による相対的な経済性の改善などといった要因により、今後も着実に増加し続けていくことが確実視されています。その中でも、後述する通り、北米や欧州域内のガス生産は今後減少することが見込まれ、中国やインドといった新興市場での需要も増加することから、世界のLNG需要も引き続き拡大を続けていくものと見られています。

(2)グローバル化するLNG市場

このような世界のLNG市場においては、現在いくつかの構造変化の兆しが見え始めていますが、その一つとして指摘できるのがLNG取引のグローバル化に向けた動きです。世界のガス市場は元々、アジアや北米、欧州といった主要な3大市場が独立した形で存在していたこともあり、LNGの価格付けについても、その決定方式が各地域によって異なっています。アジアにおいては主に日本の原油輸入(JCC)価格、欧州においては石油製品やブレント原油価格、そして米国においては価格形成地点の天然ガス需給に基づいた価格付けが行なわれています(第121-5-5)。

【第121-5-5】各地域のLNG価格決定方式

このため、LNGの価格付けは石油とは大きく様相が異なり、各地域間においてガス価格が大きく異なることも珍しくありません。
実際のLNG取引における契約条件についても、巨額な投資を要するLNG事業に携わることが出来る事業者が限られていたこともあり、長期的かつ個別的な契約形態が主となっています。LNG事業に参画する事業者がその投資リスクを共有するために、従来のLNG契約は契約期間が20年以上という長期契約が主流であり、その引取り数量についても、購入者側の需要状況にかかわらず一定数量の引取りを購入者側に義務付ける「Take or pay」条項が一般的に付けられています。スポットのLNG取引については、近年増加する傾向があるものの、我が国のLNG調達においては依然として何らかの緊急事態が発生した際に活用される場合がほとんどです。また、通常の契約には売主側の事前了解なしには第三者への転売を行うことができない、いわゆる「仕向地条項」が含まれており、あらかじめ定められた受け入れ基地以外の場所へLNGを輸送することは契約で禁止されているのが一般的です。
このようなLNG取引の現状に対し、最近では、従来の域内市場の枠を超えたグローバルな取引が増え始める可能性が指摘されています。その大きな理由の一つとして、需要・供給両面において新たなプレイヤーが登場し始めていることが指摘できます。需要面では、2004年にはインド、また2006年には中国がLNGの輸入を開始しており、2005年に、イギリスにおいても輸入が再開されています。この他、北米西海岸や欧州でLNGの受け入れ計画が検討されています。特に、北米や欧州においては域内の天然ガス田は成熟化の段階を迎えており(第121-5-6)、今後域内の天然ガス生産量が減少傾向に向かうと見られているため、LNGの輸入需要が高まっていくことと予測されています。このような欧米市場(大西洋市場)の拡大は、市場の枠を超えた裁定取引の可能性を生み出すなど、今後のLNGフローに大きな影響を与えるものと見られています。

供給国においても、2005年にはエジプトからのLNG輸出が開始され、2007年から2008年にかけてもロシア、ノルウェー、赤道ギニア、イエメンから新規のLNG輸出が開始される計画となっています。また、これらの新規の供給源からのLNG輸出が開始される中で、既存の供給国の一つであるカタールにおいても現在大規模な増産計画が進められており、その増産分の大半は欧州や米国に向けられることになっています。このような新規供給国や新規生産能力の登場は、大西洋市場の拡大とも相まって、今後の国際LNG市場におけるグローバル化を推進する可能性があります(第121-5-7)。

【第121-5-7】LNG取引におけるグローバル化

(3)LNG事業構造における事業者の変化

このような取引のグローバル化と併せて、もう一つの構造変化の動きとして指摘できるのが、LNG事業構造における事業者の参入形態の変化です。LNG事業は大きく分けて、天然ガスの探鉱から生産、液化に至るまでの上流部門と、LNG輸送の中流部門、受入基地で再ガス化を行なった上で最終消費者まで配給するまでの下流部門に分けることが出来ます(第121-5-8)。

【第121-5-8】LNGの事業構造

これまでのLNG事業においては、上流事業者(欧米メジャーや産ガス国の国営石油会社)と下流事業者(消費国の電力会社やガス会社)が、LNG事業に要する巨額の投資リスクを分散するため、それぞれの役割分担に特化したプロジェクトの運用を行なってきました。
しかしながら、最近ではこれまで上流事業者とみなされてきた事業者が下流部門への参入を始め、また逆に下流事業者が上流部門に進出するというような事業者構成の変化が見られてきています。これまで上流部門を中心にLNG事業に携わってきた欧米メジャーや産ガス国における国営石油会社は、今後需要の拡大が期待される新興LNG市場(特に欧州・米国)へのアクセスを確保すべく、LNG受入基地への出資や、受入基地の使用権取得などを通して、これまでは足を踏み入れてこなかった下流部門への進出を積極的に展開しています。現在、欧米や日本といった消費国においてはエネルギー市場の規制緩和が進められており、従来の下流事業者である電力・ガス会社が長期契約に基づくLNGプロジェクトの立ち上げに慎重になっていることも、これらの上流事業者をして自ら下流部門に進出し保有ガス田の商業化を推進するインセンティブになっているとの指摘もあります。
一方の下流事業者も、安定的かつ経済的なLNG調達、上流部門における情報収集等を目的として、天然ガス田の権益を取得したり、産ガス国でのLNGプロジェクトに出資したりといったような上流部門への進出に高い関心を示すようになってきています。特に、電力・ガス市場において自由化が進められている欧州の下流事業者は、国内の電力・ガス事業以外の新たな事業分野の開拓に積極的な姿勢を示しており、上流部門への進出に対しても活発な投資活動を展開しています。加えて、近年では、中国やインドなど消費国の国営石油会社も国内へのエネルギー供給確保の観点からLNG上流部門への進出を行っています。このような上流部門・下流部門双方における新規プレイヤーの登場は、今後のLNG需要の拡大とも相まって、国際LNG市場の流動性を高める要因になると予想されます。

(4)産ガス国の最近の動き

上に述べた構造変化の動きの中で、2001年には産ガス国間における協力体制の確立を目的として、ガス輸出フォーラム(GECF「Gas Exporting Countries Forum)が発足しています。これまでに、既に6回の会合が開催され、2007年4月9日の第6回はカタールのドーハで開催され、幾つかの産ガス国の間でOPECのような国際組織を形成しようとする議論が行われ、最終的に2008年の次期ホスト国のロシアを議長とする「ハイレベル委員会」を設置し、GECFをどのように発展させていくかについて包括的な検討を行う旨のコミュニケを発表しました。
このガス版OPEC構想は、産ガス国の間でも産油国間におけるOPECのような組織を形成し、天然ガスの価格や在庫についての国際的な管理を強化しようとする動きであり、2007年1月にイランを訪問したロシアのイワノフ安全保障会議書記に対し、イランのハメネイ最高指導者が提案し、ロシアも関心を示しました。また、ベネズエラも南米の産ガス国間でのガス版OPEC 構想を提唱するなど、近年その形成への動きが各地で見られるようになって来ています。
しかしながら、そのようなガス版OPECの実現性と実効性に対して疑問視する意見も多くあります。まず、上述の通り、石油と比較した場合、天然ガスの取引は長期契約に基づくものがほとんどで世界規模のスポット市場が十分に発達しているとはいえません。特にLNG市場においては、上述の通り巨額の初期投資が必要となるというプロジェクトの性質上、20年以上の長期契約による取引が依然としてその大宗を占めています。このため、近年中に世界のガス市場が石油市場並みの流動性を持つことは想定しにくく、ガスの輸出国側が一方的に既存の長期契約を相次いで破棄するということをしない限り、産ガス国が連携して統一的な価格や供給政策を実行に移すことは難しいと見られています。
また、仮にLNG市場の拡大を通して世界のガス取引における流動性が高まったとしても、このようなガス版OPECが過去のOPECのような共通の政策目標をもったカルテルとしてその機能を発揮することは困難と考えられています。過去のOPECの結成に際しては、その加盟国は石油メジャーによるコントロールから脱却するという明確な目標を共有していました。しかし、現在のガス版OPEC構想においてはそのような加盟国間が意思の統一を図ることが出来る共通の問題意識や課題が存在しているとはいえません。さらに、近年その生産能力を増しつつあり2010年には世界最大のLNG輸出大国になると見られているカタールは、このガス版OPEC構想に対して否定的な見解を示しており、産ガス国の間においても同構想に対する対応には温度差が見られます。
このような点から、産ガス国の間でガス版OPECを形成して、石油におけるOPECと同じような生産調整や価格政策を行うことは難しいと見られます。しかしながら、天然ガスの埋蔵量分布を見ると、ロシア・イラン・カタールの3カ国の合計で世界の埋蔵量の半分以上を占めるなど 、石油と比較してその偏在の度合いが高いこと、また、第1部第2章第3節4.ロシアでふれているように、現在ロシアにおいては国内の天然ガス資源に対する国家管理が強化されつつあることなどにも留意する必要もあります。現在の長期契約に対する変更は困難だとしても、将来の開発投資や新規案件に対する価格設定などに対し、産ガス国が協調的な行動をとるような場合には、ガス輸入国にとってもその交渉においては大きな心理的圧力を受けることになります。
我が国においても、今後エネルギー需要構造におけるガスへの依存度が高まっていくことが予測されていることから、自由で競争的かつオープンな市場がLNG市場においても形成されるよう、こうした自由なエネルギー市場の阻害要因となり得る一部の産ガス国の動きについて、注視していく必要があるといえます。

6.原子力を巡る状況

(1)ウラン資源を巡る状況

天然ウランについては、中国等の需要増加の見通し、解体核高濃縮ウランや民間在庫等のウラン二次供給の減少等からウラン価格が急騰しています。中長期的に供給不足が生じる懸念もあり、その獲得競争が国際的に激化しています。

〔1〕世界の天然ウラン市場の現状

世界のウラン鉱山は、Cameco(カナダ)、AREVA NC(旧COGEMA)(フランス)、ERA(オーストラリア)等の主要8 社で、世界の天然ウラン生産の約8 割を担い、我が国企業が保有する権益は極めて限定的です。 また、現在、世界のウランは、消費量の6割程度しか鉱山開発による供給が行われておらず、残りを二次供給により補っているのが現状です。今後、中国、インド等の原子力発電の推進による世界的なウラン需要の増加等に加えて、解体核ウランの民生供給に係る米露間契約の終了(2013年)等によるウラン二次供給減少から、10年後にも需給逼迫が懸念され、世界的なウラン獲得競争は更に激化していきます(第121-6-1)。

【第121-6-1】世界の主要ガス輸出国

このような状況を受け、近年、ウラン価格が急騰しています。その一方で、需要の拡大や価格の上昇による投資環境の改善を背景に、世界的な天然ウラン増産に向けた動きも見られます(第2部第2章第2節4.原子力を参照)。

〔2〕我が国のウラン資源を巡る状況

我が国では自主資源開発のため、1954年からウランの国内探査を行い、通商産業省工業技術院地質調査所が岡山県の人形峠や岐阜県の東濃地域でウラン鉱床を発見し、その後の探鉱は、原子力公社、動力炉・核燃料開発事業団(動燃:現日本原子力研究開発機構)へと受け継がれてきました。1998年までに84トンのウランを生産しましたが、以後は生産を中止し、現在は、全量を輸入に頼っています。海外のウラン鉱山に関する利権確保の方法としては、既にウラン資源の賦存が確認されている探鉱済鉱区に生産開発段階から参画して利権を確保する方法と探鉱段階からの権益参画の大きく分けて2 つが存在します。我が国では、前者について民間による開発参加が旧金属鉱業事業団(MMAJ)による支援の下で進められ、後者については旧動燃による調査探鉱開発により行われてきましたが、旧動燃は動燃改革の流れを受け2000 年に調査探鉱開発から撤退しました。
現在、海外ウラン資源開発?や日豪ウラン資源開発?などの民間事業者が主体となって海外ウラン鉱山開発に権益参加をして、開発輸入を行っています。また例えば、我が国の電気事業者は、カナダ、オーストラリアなどから主として長期購入契約により天然ウランを確保している他、東京電力及び出光興産によるカナダのシガーレイク鉱山、関西電力及び住友商事によるカザフスタンのウェスト・ムインクドュック鉱山、海外資源ウラン開発によるニジェールのアクータ鉱山など、我が国企業による自主開発を進めています。

〔3〕ウラン資源確保戦略の展開

需給の逼迫が懸念される中、安定的にウラン資源を確保するためには、今後とも供給国の多様化に努めるとともに、ウラン鉱山開発・探鉱プロジェクトへの参画など、自主開発輸入の比率を高めるためにも資源外交の強化、石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC:MMAJと石油公団が統合・改組された組織)による探鉱事業へのリスクマネー供給、日本貿易保険や国際協力銀行等政策金融による支援などが重要です。
特に、我が国のウラン輸入先は、豪州、カナダで6割を占める状況にあり、供給源多様化の観点から中央アジアからの供給ルートを開拓することが重要です(第121-6-2)。

【第121-6-2】世界のウラン資源の分布

カザフスタンのウラン資源埋蔵量は世界第2位(全世界の約5分の1)にも拘わらず、我が国のカザフスタンからのウラン輸入量は1%に満たないため、カザフスタンからのウラン供給拡大の潜在性は大きなものです。他方、カザフスタンは、ウラン鉱山開発に加えて、国内の原子燃料加工工場の活用等、より高度な関係を築ける国との協力関係拡大を志向しています。このため、2006年8月に小泉総理(当時)がカザフスタンを訪問した際に、原子力分野における戦略的パートナーとなることに両首脳間で一致し、ウラン鉱山共同開発や核燃料加工役務分野での協力、カザフスタンにおける軽水炉導入への協力、等を内容とする「原子力の平和的利用の分野における協力の促進に関する覚書」に署名しました。さらに、2007年4月に甘利経済産業大臣が訪問した際には、原子力分野における広範で戦略的な協力関係の構築等を図ることに一致するとともに、企業トップを含む100名以上の民間人が同行し、20を超える原子力分野の協力案件に関係者間で合意しました。
ウラン資源埋蔵量世界第10位であるウズベキスタンについても、2006年8月に小泉総理(当時)が訪問し、ウラン取引・開発が有望な分野となり得ること等について首脳間で一致しました。また、2007年4月に甘利経済産業大臣が訪問した際には、ウランを始めとするエネルギー資源協力等の強化に合意しました。
さらには、ウラン資源埋蔵量世界第1位である豪州についても、同年10月に日豪エネルギー高級事務レベル会合を開催し、ウラン資源開発を通じた関係強化の認識を共有しました (第121-6-3)。

【第121-6-3】ウラン資源確保戦略

(2)原子力プラントメーカーの変遷

〔1〕世界の現状

1979年の米国スリーマイル島事故、1986年の旧ソ連チェルノブイリの原子力発電所事故を契機として、世界的に原子力に長い期間、逆風が吹く厳しい時代となり、世界的に原子力発電所の新規建設は低迷していました。しかしながら、近年の地球温暖化対策やエネルギー安定供給等の観点から、新増設が停滞していた米国やフィンランド等でも原子力発電所欧米各国での原子力発電所の新増設に向けた動きが見られ、英国政府も原子力発電所の新規建設(更新)に向けた方針へと転換しています。また、経済発展により電力需要が急増している中国やインドでは、原子力発電所建設計画の着実な進展が見られ、世界の原子力発電所の新規建設需要は、今後拡大の方向にあるといえます。 一方で、欧米の原子力プラントメーカーにおいては、長期間にわたった需要低迷期において、総合産業である原子力産業として必要な企業規模を維持していくために、メーカー間で国境を越えた再編・集約化が進行しました。(第121-6-4)。

【第121-6-4】原子力プラトンメーカーの変換

この結果、海外の原子力産業は寡占化してきています。
こうした状況の中で、米国のゼネラル・エレクトリック(GE)、ウェスチングハウス(WH)及び仏国のアレバ(AREVA)は、それぞれESBWR(簡易型沸騰水型原子炉)、AP1000(改良型静的安全加圧水型原子炉)、EPR(欧州加圧水型原子炉)といった新型軽水炉を開発中であり、これを武器として世界中で売り込み合戦を展開しています。

〔2〕我が国原子力プラントメーカーのこれまでの状況

1980年代以降の長い原子力の冬の時代においても、我が国では原子力の利用・開発を持続し、少ないながらも新規建設が継続されてきたため、我が国のメーカーは設計、製造、建設技術面で優位性を有しており、また、これらを支えるコア部品では強い裾野産業を有しています。このため、米国等のメーカーにおける新型炉開発においても、我が国のメーカーは重要なパートナーとなっています。 我が国メーカーが「世界市場で通用する規模と競争力を持つよう体質を強化すること」(「原子力政策大綱」)が政策上の目標とされています。
一方で長引く経済成長の鈍化やエネルギー間競争の激化、省エネルギー対策、人口減少等による電力需要の伸び悩みにより、今後20~30年にわたり、国内における原子力発電所の新規建設は低迷すると予想されていますが(第121-6-5)、2030年前後からの原子力発電所の大規模な代替建設需要が発生する見込みです。この大規模な代替建設が円滑に実現されるよう、原子力分野の技術・産業・人材の厚みを維持・発展する必要があります。このため、2006年度から「第3次軽水炉改良標準化計画」以来約20年ぶりとなる国家プロジェクトとしての次世代軽水炉の開発に、官民一体で取組むこととしており、本格開発段階に向けたフィージビリティ調査を進めています。加えて、米国をはじめとする欧米各国や中国等のアジア各国における原子力発電の需要増加により、原子力発電所の建設計画数が増加してきているため(第121-6-6)、我が国原子力プラントメーカーの国際展開の推進も図ってきています。

【第121-6-5】建設中の国内原子力発電所数

【第121-6-6国内外における原子力プラトンメーカーと原子力プラント需要の動向】