2.我が国のエネルギー政策の変遷

2.我が国のエネルギー政策の変遷

我が国のエネルギー政策は、その時代の様々な要請に従い、変化をしてきました(図6)。以下、戦後の我が国のエネルギー政策の変遷を簡単に俯瞰します。

図6 エネルギー政策の変遷

図6 エネルギー政策の変遷

〔1〕石油ショック以前のエネルギー政策

1973年に石油ショックが勃発する以前の戦後の我が国のエネルギー政策を概観すると、大きく2つの時期に区分されます。

(ア)戦後復興期

第一の時期が戦後復興期(1945年~1962年)です。先ず、石炭と鉄鋼の増産に必要な労働力、資金、資材等を最優先させて確保する「傾斜生産方式」(1946年)により、官民一体の石炭増産体制を確立し、終戦直後の荒廃から経済の復興を目指しました。次に、朝鮮動乱終結後の石炭不況に対応して石炭産業の合理化を進めながら、石炭を中心にエネルギー供給を行う「炭主油従政策」を維持しました。

(イ)高度成長期

第二の時期が高度成長期(1962年~1972年)で、低廉かつ安定的なエネルギーの供給をエネルギー政策の柱にして、エネルギー供給の中心を石炭から石油へ転換した時期です(「油主炭従政策」)。具体的には、構造的不況に陥った石炭産業の合理化を推進する一方、石油製品の安定供給を確保するとの観点から消費地精製※1の原則に立ち、石油精製能力、石油生産計画等に関して政府の監督下に置くことにより石油産業の健全な発展を図りました。なお、1962年は我が国において、初めて石油が石炭を抜いてエネルギー供給の首位の座についた年でもあり、この前後、エネルギー供給の主体が石油に移る、いわゆる「エネルギー革命」が急速に進展しました。

※1:消費地精製:原油を産油国から原油のまま輸入し、消費地で精製すること。石油製品は連産品であり、また、国際的な石油製品の市場も未発達であったため、国内に精製能力を保有しないと特定の製品の不足に対応できない恐れがあったため、このような方式をとっていた。

〔2〕第一次石油ショック後のエネルギー政策

(ア)第一次石油ショックと緊急時対策

第四次中東戦争を契機に1973年に発生した第一次石油ショック(原油価格の高騰と供給削減)は、当時石油依存度が7割を超えていた我が国にとって国民生活及び経済に対し大きな衝撃を与えるものでした。政府は危機発生に対処するため、国民生活安定緊急対策本部を設けるとともに「石油緊急対策要綱」を閣議決定し、消費節約運動の展開、石油・電力の使用節減等の行政指導を行い、事態の収拾に努めました。これと並行して石油の安定供給等に関する立法作業が進められ、同年12月には、「石油需給適正化法」と「国民生活安定緊急措置法」が制定されています。また、国際的には、1974年に米国の呼びかけにより我が国を含む主要石油消費国の間で「エネルギー調整グループ」が結成され、同年、同グループにより「国際エネルギー計画」(IEP)協定が採択され、「国際エネルギー機関」(IEA)がOECDの下部機関として設置されました。この国際協定であるIEPは、緊急時自給力確立のため、前年の平均純輸入量の90日分の備蓄義務と、消費削減措置付きの緊急時石油融通制度を規定しています。これを受けて我が国では、1975年に石油備蓄法の制定を行い、90日備蓄増強計画を策定し、1981年度末には石油精製元売会社等の民間備蓄義務者は90日分の備蓄目標を達成しました。

(イ)エネルギーの安定供給確保を重視

第一次石油ショックによって石油供給不足の脅威を経験した我が国は、エネルギーの安定的な供給を確保することを国の将来を左右する最重要課題と位置づけ、極めて脆弱な我が国のエネルギー供給構造を改善するため所要の施策を行いました。具体的には、〔1〕石油依存度の低減と非石油エネルギーによるエネルギー源の多様化、〔2〕石油の安定供給の確保、〔3〕省エネルギーの推進、〔4〕新エネルギーの研究開発、の4点を掲げ、そのうち、中長期的課題である新エネルギーの研究開発については、1974年に、2000年を目途として、数十年後における我が国のエネルギー需要の相当部分をまかなう新しいクリーンエネルギーを供給するための技術の開発を目指した「サンシャイン計画」が発足しました。

(ウ)電源開発と電源三法

電力需要は、高度経済成長期には年平均10%を超える旺盛な増加を続け、第一次石油ショック後も、1974年度を除けば、第二次石油ショック(1979年)まで対前年度に比べ4~8%増加しました。増大し続ける電力需要に対応するための電源開発の促進が重要課題でした。一方、発電所等の建設が、安全性や公害に対する不安から、地元住民の反対にあって難航することが多くなってきました。このため、発電所等の建設による安全性や公害に対する不安を取り除く努力を続けるとともに、発電所等の立地を受け入れる地域の福祉向上を図ることが重要となったため、1974年に「発電用施設周辺地域整備法」、「電源開発促進税法」、「電源開発促進対策特別会計法」の、いわゆる電源三法が成立したことを受け、これらに基づく電源立地促進対策交付金等により、種々の施策が講じられるようになりました。これにより、原子力発電所の立地が大きく進展することとなり、我が国の石油依存度引き下げに大きく寄与しました。

〔3〕第二次石油ショック後のエネルギー政策

(ア)第二次石油ショックと石油代替エネルギーの導入対策

第一次石油ショック以降、エネルギー安定供給の確保への取組を進めていた我が国は、第二次石油ショックを経て、更にその取組を推進していきました。こうした状況のなか、石油の安定供給の確保及び省エネルギーを推進し、一方で石油代替エネルギーの開発及び導入をすることで石油依存度の低下を図り、エネルギー供給構造を改善する必要から、1980年に「石油代替エネルギーの開発及び導入の促進に関する法律」(代エネ法)が制定されました。これに基づき政府は、同年「石油代替エネルギーの供給目標」を閣議決定しました。また、大型の石油代替エネルギー技術開発を総合的に推進するために、同年に独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)を設立しました。

(イ)省エネルギーの推進

石油ショックにより省エネルギーの重要性が認識されるとともに、法制度の整備、各種施策などの省エネルギー政策を推進することとなりました。法整備については、1979年に「エネルギーの使用の合理化に関する法律」(省エネ法)を制定・施行し、工場、建築物及び機械器具に関する省エネルギーを総合的に進めるために、各分野において事業者が取り組むべき内容等を定めました。なお、技術開発については、1978年に「ムーンライト計画」がスタートし、エネルギー転換効率の向上、未利用エネルギーの回収・利用技術の開発などが進められました。また、民間における省エネルギー技術の研究開発への助成等が推進され、我が国産業は世界でも最高水準のエネルギー使用効率を達成することとなりました。

〔4〕プラザ合意以降のエネルギー政策

(ア)効率化の要請への対応

我が国は2度の石油ショックを経験することにより、〔1〕石油の安定供給の確保、〔2〕石油代替エネルギーの開発導入の促進、〔3〕省エネルギーの推進を3つの柱とする総合エネルギー政策の体系を確立してきました。我が国における省エネルギーと石油代替エネルギーの導入の進展がみられる中で、国際的には原油価格の低下という新しい事態の到来と、エネルギー供給の「セキュリティとコストの最適バランスの確保」が新しい課題となりました。特に、プラザ合意(1985年)以降、円高が進み、我が国産業の国際競争力強化の観点からエネルギーコストの低減が求められました。こうした中で、石油産業については、1987年から石油精製設備の増設などについての許可を運用弾力化するなど規制緩和が始まりました。電力分野についても、自家発電やコージェネレーションシステムの電力系統への連系を容易にしたり(1986年)、自家発電などの余剰電力の小売を可能とする対象範囲の拡大(1989年)などの規制緩和が進められました。

(イ)ゆとりと豊かさのもとでのエネルギー需要の増大

1980年代後半から1990年代にかけて、国民のゆとりと豊かさの追求により、特に民生部門及び運輸部門においてエネルギー消費が大きく伸びました。すなわち民生部門においては、冷暖房需要の増加、大型家電機器の普及、社会活動の24時間化、OA化等の情報化の一層の進展により、また運輸部門においては、自動車保有台数の増加、乗用車の大型化、物流需要の増加等によりエネルギー消費は増大しています。このようなエネルギー需要の増大は、エネルギーの安定供給確保と省エネルギーの重要性を再確認させるものです。

〔5〕地球温暖化問題への対応

近年、エネルギー政策の新たな課題として、エネルギー起源の二酸化炭素の排出等に起因する地球温暖化問題への対応の必要性が生じてきました。国際的には、1997年に、先進国の温室効果ガスの削減を約束した京都議定書が採択されました。この中では、我が国については、温室効果ガスの排出量を2008年から2012年までの第一約束期間に基準年排出量と比べて6%削減することが定められています。我が国は同議定書を2002年に締結しました。この温室効果ガスの6%削減約束を達成するために、政府は地球温暖化対策推進大綱に基づいて200を超える対策・施策を進めてきました。しかし、エネルギー起源二酸化炭素は、2002年度には基準年の温室効果ガス総排出量に比べて10.2%増加しており、目標達成のためには更に多くの努力が必要です。

〔6〕強靱でしなやかなエネルギー・システムの構築に向けて

1973年は、第一次石油ショックの発生というエネルギー政策史において特筆すべき年とされてきましたが、2003年で30年が経過しました。この間、我が国は、幾多の困難に直面し難局を乗り越えてきました。エネルギーの安定供給に加えて、地球規模での環境問題への配慮、さらには自由化、効率の向上も求められています。第3部でも述べているように2002年6月には、このようなエネルギーをとりまく情勢を踏まえ、「安定供給の確保」、「環境への適合」、及びこれらを十分考慮した上での「市場原理の活用」の3つを基本方針とするエネルギー政策基本法が制定されるとともに、2003年10月には、同法に基づき、エネルギーの需給に関する施策の長期的、総合的かつ計画的な推進を図るため、エネルギーの需給に関する基本的な計画としてエネルギー基本計画が閣議決定・国会報告されました。

エネルギー政策は、世界のエネルギー情勢、我が国の経済構造や国民のライフスタイルの変化等を踏まえながら遂行することが重要であり、更には環境政策、科学技術政策とも密接な関連性をもつものです。国の将来を見据えた確固とした戦略を持つと同時に、様々な環境変化が起こった場合に適時適切かつ柔軟に検討を加え、必要があると認めるときには変更するしなやかさを兼ね備えたエネルギー・システムの構築が求められます。政府は、エネルギー基本計画に基づき、このような要請に応じるためのエネルギー政策を推進しています。