【日本のエネルギー、150年の歴史⑤】「地球温暖化対策」と「電力・ガス自由化」が始まる

平成9年(1997年)京都で開催された「地球温暖化防止京都会議(COP3)」の写真です。

平成9年(1997年)京都で開催された「地球温暖化防止京都会議(COP3)」(出典)KYOTO地球環境の殿堂

今年2018年は、明治元年(1868年)から150年を数える節目の年。そこで、明治維新以降の歴史の中で、日本のエネルギー開発・エネルギー利用がどのような変遷をたどってきたのかを6回シリーズで振り返ります。

第5回は、「地球温暖化問題」がエネルギー政策に与えた大きな影響やそれに伴い台頭してきた新エネルギー、また「電力・ガス改革」の動きを中心に、1980年代後半から1990年代にかけての日本のエネルギー史を振り返ります。

「地球温暖化問題」がグローバルな課題に

今でこそよく知られるようになった地球温暖化問題は、昭和60年(1985年)に国連環境計画(UNEP)が「対策を開始すべき」と警鐘を鳴らしたことから、世界的に認知が広まっていきました。また、昭和63年(1988年)には、カナダのトロントに集まった科学者と政策決定者が、「地球全体として、2005年までに、CO2排出量を1988年レベルから20%削減する」という数値目標も含めた声明を採択しました。

これを受け、燃焼する際にCO2を多く発生させる石油や石炭などの化石燃料についても、対策が求められるようになりました。このことは、日本のエネルギー政策を考える上でも非常に重要な課題として急浮上します。

そこで図られたのが、CO2の排出量が少ない新エネルギーの推進、そしていっそうの省エネルギーの実施だったのです。

温暖化対策として導入が進んだ新エネルギー

「日本のエネルギー、150年の歴史④」でもご紹介した通り、1970年代は2回のオイルショックに見舞われた年代でした。この経験を経て、日本は、使用するエネルギーの8割にも達していた原油への依存率を下げるため、石油に代わるエネルギー、つまり「石油代替エネルギー(代エネ)」の研究開発と導入をめざすことになりました。

当初、石油に代わる新エネルギーとして期待を寄せられていたのは、太陽光発電、地熱、石炭(石炭液化技術)、水素エネルギーの4つでしたが(「日本のエネルギー、150年の歴史④」参照)、その後バイオマスも注目されるようになりました。

そうした中、地球温暖化対策が喫緊の課題として注目されるようになると、新エネルギーは、温暖化対策にも有効な取り組みとして、開発に一層拍車がかけられるようになっていくのです。

新エネルギーの中でも特に開発・普及が顕著に進んだのは、太陽光発電です。太陽光発電は「シリコン薄膜」や「化合物系電池」の研究開発が進み、コストが低減。また、家庭や事業所などに設置された太陽光発電設備で作られた電気のうち、使い切れずに余った電気の買取りを電力会社に義務づける「太陽光発電の余剰電力買取制度」が平成21年(2009年)からスタート。こうした環境が、太陽光発電の普及を後押ししました。この制度は、後の「固定価格買取制度(FIT制度)」へと繋がっていきます。

太陽光発電の国内導入量とシステム価格の推移
太陽光発電の国内導入量と、システム価値の推移をまとめたグラフです。

(出典)システム価格は資源エネルギー庁資料を基に作成、国内導入量は2014年度まで太陽光発電普及拡大センター資料、2015年度以降は資源エネルギー庁「固定価格買取制度 情報公開用ウェブサイト」を基に作成

水素エネルギーについては、平成9年(1997年)の「地球温暖化防止京都会議(COP3)」で採択された「京都議定書」がきっかけとなり、開発・普及が加速しました。

平成9年(1997年)に開催された「地球温暖化防止京都会議(COP3)」の様子です。

平成9年(1997年)の「地球温暖化防止京都会議(COP3)」での議論の様子(出典)KYOTO地球環境の殿堂

特に開発が進んだのが、水素エネルギーを動力とする「燃料電池自動車」の分野です。平成15年(2003年)には、水素・燃料電池に関する技術開発や情報交換の促進を目的とした国際協力の枠組みも構築され、基礎的分野における研究協力や、基準・標準のグローバルな調和が図られることとなりました。

さらにこの年、電力会社に対して、「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法(RPS法)」が全面的に施行されます。これは、供給する電力量に応じて一定の割合で新エネルギー導入を義務付けるもので、対象となった新エネルギーは、風力、太陽光、地熱、中小水力、バイオマスの5種類。電力会社が自社で発電するほか、他業者からの購入なども可能にしました。その結果、新エネルギーの導入が進み、販売電力量に対する新エネルギー由来電力の利用量は8年間で約3.7倍になりました。

エネルギー消費を半減させる効果を生んだ、省エネ対策

地球温暖化対策のもう一つの手段として進められたのが、省エネルギー対策です。エネルギーの消費削減は、エネルギーを通じて排出されるCO2を抑制することにつながるためです。

省エネを促進するため「省エネ法」が制定されたのは昭和54年(1979年)(「日本のエネルギー、150年の歴史④」参照)。この法は、その後何度も改正を繰り返し、より厳しい義務付けや、時代に合わせた規制対象の変更などが加えられていきます。

平成11年(1999年)、自動車の燃費規準や電気機器の省エネ基準に、「トップランナー方式」が導入されます。トップランナー方式とは、新しく設定する省エネ基準を、その時点で最も省エネ性能が優れている同類の製品の性能以上とする方式です。このため、対象となった電気機器や自動車など各メーカーは、製品開発において省エネ性能向上を常に意識するようになりました。

平成14年(2002年)の改正では、大規模オフィスビルなども規制の対象となり、それまで対象となっていた大規模工場と同じように、エネルギー管理が義務付けられるようになります。

このような省エネ政策の成果もあり、製造業の平均の「エネルギー消費原単位指数」(ある量の製品を作るのに必要となるエネルギーの量)は、昭和48年(1973年)を100とした場合、平成2年(1990年)には53前後と、半分近い値まで改善したのです。

規制緩和によって目指された、石油の安定的かつ効率的な供給

オイルショック後、前述したような新エネと省エネの取り組みが進められたものの、石油が引き続き重要なエネルギー資源であることは、この時代も変わりませんでした。そうした中で進められたのが、石油産業の規制緩和です。

1980年代前半は、ガソリン・灯油・軽油といった「特定石油製品」の輸入については、通商産業大臣の登録を受けることが必要であるなどの条件から、輸入者は実質的に石油精製業者に限られていました。しかし80年代後半から、第一段階、第二段階と規制緩和がおこなわれ、石油産業における競争が活発化されました。

平成7年(1995年)には、「石油製品の安定的かつ効率的な供給の確保のための関係法律の整備に関する法律」が公布。自由化を図って効率性を高めつつ、安定的な供給を続けるためのさまざまな制度が定められました。今ではおなじみとなった、ガソリンスタンドのセルフ給油が解禁されるなどしたのもこの頃のことです。

石油関連規制と規制改革の推移
石油関連規制の改革の推移を示した図です。

(出典)石油連盟「今日の石油産業2017」

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一方、油田開発など石油産業の上流分野でも、大きな動きがありました。日本では、必要とする原油の一定量を海外自主開発原油でまかなうことを目的とし、石油開発を促進するための国家機関である「石油公団」が、油田開発をおこなう企業への出融資をおこなっていました。しかし、平成9年(1997年)の衆議院決算委員会などで、石油公団が多額の不良債権を抱えていることが問題視され始めたのです。

これを受け、平成13年(2001年)に石油公団の廃止が決定。その業務は、平成16年(2004年)に設立された独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)に引き継がれることとなりました。JOGMECでは、石油公団の反省を活かし、出資のみで融資業務はおこなわないこと、支援割合は5割とすることなどが定められました。こうした紆余曲折はあったものの、平成18年(2006年)の「新・国家エネルギー戦略」では、自主開発比率を2030年までに40%程度とするという目標が定められ、海外の資源開発への支援はますます進められることとなりました。

日本における石油・天然ガス開発業界の変遷
日本の石油・天然ガス開発業界がどのような変遷をたどってきたか示した図です。

(出典)各種資料を基に資源エネルギー庁作成

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安定供給の基盤ができた電力・ガスは、消費者メリットがある自由化へ

1990年代以降のエネルギー政策を象徴するキーワードのもう一つが、「電力・ガスシステム改革」です。

戦後、日本の電力は、発電・送電・配電・売電を地域の電力会社が一貫しておこなう地域独占体制がとられてきました(「日本のエネルギー、150年の歴史③」参照)。このような地域独占体制は電力会社のビジネスの見通しを容易にし、その結果、電源(電気をつくる方法)開発への投資が確保されてきました。そのことが、日本における電力の安定的な供給を支えてきました。

このようなメリットのあった地域独占体制でしたが、その一方で、当時の電気やガス料金は、世界的に見て高コストとなっていました。そこで、電力・ガスシステムを大きく変えるという改革がおこなわれることとなったのです。電気については、「安定供給の確保」「料金の最大限抑制」「電気利用者の選択肢を増やし、企業の事業機会を拡大」するという目的のもとで改革が進められました。ガスについては、需要家利益の増進、ガス事業における競争促進といった目的が掲げられました。

日本の電力システムについては、平成7年(1995年)以降、数回の制度改革がおこなわれてきました。まず、発電部門が原則参入自由となり、次に小売(売電)部門が段階的に自由化されました。ただし、一気に全面自由化すると混乱が生じかねないため、最初は大口顧客である大規模工場など、次は中規模工場などまで、という具合に、段階的に対象が拡げられていきました。こうした改革が進められることとなった背景には、前述した新エネルギーの開発・普及が進んだことで、太陽光発電や風力発電などを使って電気をつくる、新しい「発電事業者」が登場したということもありました。

第五次制度改革(電力システム改革)第2段階の図
電力システム改革がどのような段階を経ておこなわれたかを示した図です。

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一方、ガスシステムについては、同じく平成7年(1995年)から、段階的に改革が進められています。大規模工場などを対象とした小売の自由化から始まり、次第に自由化の対象が拡大し、平成29年(2017年)には一般家庭のような小規模需要向けも含め、ガスの小売が全面自由化されました。

こうした電力・ガスシステムの自由化により、さまざまな企業が市場に参入し、電力とガスのセット販売など、ユニークなプランが打ち出されています。

ガス事業の段階的な自由化
ガス事業がどのような段階を経て自由化されたかを示した表です。

(注1) 小売全面自由化後も、需要家保護の観点から、競争が進展してない地域においては、経過措置として小売料金規制を存続。 (注2) 年間使用量の多寡によって大口・小口に分かれる。各シェアは大手10社のガス販売量に占める大口供給販売量の割合 (平成25年度実績)。

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次回は、シェールガス革命など世界の動き、さらには東日本大震災の発生など、さまざまな出来事によって大きく変わっていく2000年代以降の日本のエネルギー政策をご紹介します。

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